金持ちでない凡人は権利が少ない。
特に、場所があまり得られない。
簡単に言えば「独占」と縁遠い。

最近、『長門有希ちゃんの消失』というアニメをAmazonのdアニメストアで見ているが、そこでの旅行シーンは、他のアニメでも共通するものがある。
高校生の女5人、男2人で旅行するのだが、電車に乗ると、他の乗客は一切出てこず、誰にも邪魔されず、自分達だけで好きなように座り自由奔放に振舞う。
しかし、実際の旅行では、他の大勢の乗客と場所を取りあい、また、迷惑な乗客達に悩むのだ。
お土産店でも他の客がおらず、「あ!これ可愛い」とか言いながら、仲間だけで盛り上がるが、これも、実際は、そんなことをしていたら他の客の迷惑になるし、そして、他の人達のことを全く考えない我が物顔のグループにイライラさせられるものだろう。
旅館内の温泉も、他の客は全くおらず、好きな時に入り放題で、誰にも気を使わず、誰にも迷惑を受けない。
食堂でも、カラオケでも、ロビーの卓球台でも、ロビーのソファでも、やっぱり自分達だけで、好きなだけ好きなように楽しく過ごす・・・現実では、他の客達とのローテーションを急かされ、順番を待ち続け、やっぱり自己中な者達に苦しめられ、誰もが他人を警戒し、嫌な目付きを他人に振りまき合うことになるのだ。

アニメの登場人物達のようにやりたければ、大金持ちか王侯貴族にでもなるしかない。
ある有名俳優は、飛行機は当然ファーストクラスなのだが、隣の席も買ってしまうのだそうだ。
新幹線では、グリーン車を少なくとも4席くらい買って、前に誰もいないようにするのだろうか?

しかし、凡人には権利がなく、少しの物や場所しか与えられない。
ところが、金持ちっていうのは、普通の場所にいても、なぜか広い場所が得られ、他人に悩まされることがない。
予約してある訳でもないのに、順番を待たされることはなく、良い待遇を受ける。
金持ちと行動を共にすると、そんなことを感じる。
『マスターの教え』という本で、「マスター」と呼ばれる偉大な人が、初めて行く店であっても、明らかに丁重に扱われる不思議が描かれてる。
これらは、大物達のマインドに原因があるのだろう。
凡人は貧しい心を持っているが、金持ちや偉人は、豊かな雄大な心を持っているのだろう。
大きなゆったりとした心を持たなければ大物になれない。
だが、大きなゆったりとした心と言っても、それは、凡人が他人の迷惑を顧みず、ただのんびりしているというのとは全く違う。
一時的な大物である成り上がりは横柄で我が侭だが、そのままではすぐに没落する。

大物がどんなものかは、『老子』81章に、詳しく淡々と書かれている。
慎重であること、慈愛を持っていること、倹約すること、頭を下げること、謙虚であること、過去の自慢をしないこと・・・まさに、大物超指南書である。
学べば大物の心を得られるし、極めれば仙人にも達する。
『老子』は、そんなふうに使うものである。









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