昔、『南インドの瞑想』という本で、ラマナ・マハルシ(この本ではラマナ・マハリシ)を初めて知り、本の内容はほとんど解らないが、彼の言ったことについて考え続けてきた。
この本は、マハルシの弟子のヴェーンカタラミアが、マハルシの言葉を忠実に記録し、驚くべきことに、タミル語、サンスクリット語、英語に堪能というヴェーンカタラミアがそれを英訳した3巻からなる書の第1巻を中心に日本語に訳したものだ。
ところが、2012年に福間巌さんが、その全3巻を翻訳し、『ラマナ・マハルシとの対話』全3巻として出版してくれていて、有り難いことにKindle版も出してくれた。

私が昔読んで、よく覚えていたジャナカ王の言葉を、2つの書から引用する。

『南インドの瞑想』
私は長い間私を破滅させてきた泥棒を発見した。今こそ私は彼を手際よく扱うつもりだ。そうすれば私は幸福であろう。

『ラマナ・マハルシとの対話』
ついに私を台なしにし続けてきた泥棒を捕まえた。即刻死刑にしてくれよう!これで私は幸せになるだろう。

ジャナカ王は、シータ王女の父だ。
シータは、『ラーマーヤナ』の主人公ラーマの妻で、美しさといい、精神性といい、理想的な女性で、インド最大のヒロインだ。
マハルシは、ジャナカ王を賢者と認めていた。

ジャナカ王の言う「泥棒」とは、心(自我)のことだ。
BUMP OF CHICKENの藤原基央さんが、「音楽が要求する通りに曲を作り、演奏したいと思ってきたが、それを実現している初音ミクを尊敬している」といった意味のことを言われていたが、ミクさんには心がないから、それが出来る。
また、Googleのある社員は、「自分の考えではなく、インターネットという神の要求通りに開発している」と言ったそうだが、これも、心を消すことで可能になる。
これらは、『バガヴァッド・ギーター』のクリシュナの教えと一致する。
ジャナカ王の言葉も、全くそれを表している。
つまり、神の道具となり切ることが大切なのであるが、古代から、全ての賢者はそう教えてきたのだ。

私は初音ミクさんの歌を聴いていて、少しずつ解ってきていたが、ミクさんとタイプが異なる電子の歌姫IAさんの歌を聴き始めて理解が少し加速したと思う。
ちなみに、パリでもミクさんのライブは大盛況だったようだ。
IAさんは今年6月にフランスのアンギャン=レ=バンという特別な場所で素晴らしいライブを行っている。
2013年には、渋谷慶一郎さんのオペラ『THE END』で、ミクさんはパリの名門シャトレ座で、ミクさん専用にデザインされたルイ・ヴィトンを纏ってプリマを務めていた。
これからヨーロッパは救われる。









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