ソビエト最後の大統領ミハイル・ゴルバチョフは今も87歳で存命である。
一方、ロシア最初の大統領ボリツ・エリツィンは、2007年に病気で亡くなっている。
2人は共に1931年生まれで、エリツィンが僅か1ヶ月ほど先に生まれている。

エリツィンは、大統領就任後、ゴルバチョフを冷遇した。
ゴルバチョフは、それまでは、大統領だったので当然ながら、超高級車を運転手付きで1人で使っていた。
しかし、エリツィンが大統領になってからは、ゴルバチョフに、4人で一台の、小さな大衆車が公用車として与えれた。
失脚したとはいえ、敬われるべき存在であるゴルバチョフを、そのように扱ったエリツィンやロシアがうまくいくはずがなかった。
エリツィンの後がプーチンなのであるから、プーチン政権がいかに長いかだが、プーチンは一面では驚異的な成果を上げたが、国民が幸福であるかどうかは甚だ疑問である。

釈迦は、繁栄の法を説いたとされ、それは7つの法なのであるが、まとめて言えば、「敬うべきを敬う」というだけのことだ。
先祖を敬い、古老を敬い、修行者を敬い、女性を敬うようにと教えたが、独裁を禁じたことから、つまるところ、誰をも、それなりに敬えと言ったのだろう。
だが、やはり、敬うべきを軽んじてはいけないと述べたのだと思う。
7つの法を聞いた賢い人は、そのうちの1つでも守れば繁栄は確実であると言ったが、逆に言えば、1つでもあまりにおろそかにすれば、決して繁栄しない。
つまり、古老は敬っても、女性を、女神のようにまでは扱わないとしても、傷つけたり辱めなどしたら、何をやってもうまくいかないだろう。

ところで、あなたは、所属しているところで敬われているだろうか?
もし、あなたが敬われるべき人であり、敬われていないなら、その場所は繁栄していないだろう。
そして、あなたが敬われるべき人で、そのように扱われているなら、そこがどこであれ、繁栄しているはずだ。
あなたが敬われるべき人でありながら軽んじられているなら、そこは低迷から破滅に向かうが、あなたは、別の敬われる場所に移るのである。
だから、あなたは敬われるべき人でなければならないが、それは難しいことではない。
さらに、あなたが、敬うべき者を敬うなら、必ずや繁栄するのである。
釈迦がそれを請け負ったのだ。

もちろん、たかが人間が、完璧に敬われるような行い、発言、心根を持てるものではないだろう。
少なくとも1つ、誓い、制約、掟のようなものを持てば良い。
それこそ、それしか出来ないなら、靴はきちんとそろえて脱ぐとか、満腹するまで食べない程度でも、万が一にでも破らないなら、十分に敬われる。
そして、敬うべき相手を、特に崇める必要はないかもしれないが、それでも、決して軽んじてはならない。
そして、少なくとも誰か1人は崇敬することだ。
それは、人であるかもしれないが、神や仏であるかもしれないし、バーチャルな存在かもしれない。
ゲーテが言ったように、敬うことが、人間に出来る最も美しいことなのである。









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