ひろさちやさん(Wikipediaによれば宗教評論家)は現在82歳らしいが、彼が48歳くらいの「若い」時に書いた『空海入門』という本がいまだロングセラーで、私も若い時に読んで、大変に気に入ったものだ。
本の内容は、密教とは「仏陀になり切って生きる」ことで、もっと簡単に言えば、「仏陀のフリをして」「仏陀の真似をして」生きることであり、空海がまさに、そのように生きた人だったというものだ。
仏教の専門家や仏教マニアには怒られそうな話だが、ひろさんの言うことが正しいかどうかはともかく、分かり易くて面白い。
ひろさんは、人殺しの真似をして人を殺せば、「いや、これはただの真似ってもんでさあ」では通用せずに人殺しになってしまうように、仏陀の真似をしたら、やっぱり仏陀なのだという話をして、『徒然草』の「狂人の真似をすれば狂人」と同じく、「人殺しの真似をすれば人殺し」、そして、「仏陀の真似をすれば仏陀」なのだと言う。
まあ、なんとも乱暴な理屈であるが、こんな話を思い出す。
赤ひげ先生と呼ばれた江戸時代の名医(漢方医)がいて、その医者のことを小説で描いた山本周五郎の『赤ひげ診療譚』は、1965年には黒澤明が映画化し、5回もテレビドラマ化された。
そのテレビドラマのどれかのお話だが、赤ひげの真似をする老人が現れ、医療は全く素人であるが、人々は本物と疑わず、慕われていたし、実際に病気も治していた。とはいえ、やることは脈をとるくらいのことだった。
つまり、「名医のフリをしたら名医になっちゃった」のである。
なぜ、偽赤ひげが赤ひげの真似をするようになったかというと、ある時、病人に赤ひげ先生と間違われ、なんとなく赤ひげ先生の真似をして脈をとっていたら病気が治ってしまったことがきっかけだった。
いわゆる、患者の自己暗示、プラシーボ効果というものであるが、「全ての薬の効果はプラシーボ」と言う医者もいるようで、自己暗示の力は絶大なものだ。
フランスのエミール・クーエのキリスト級の治療は全て自己暗示によるもので、自分で歩けずに担ぎ込まれた人が10分後には元気に走り回るほどだった。

それで言えば、仏陀になり切る、仏陀のフリをするというのも、何か意味があるのかもしれない。
ただ、ひろさんは、どうすれば仏陀の真似が出来るのかは、あまり上手く書いていない・・・というか、仏陀の真似なんか、どうやっても上手く出来ない。
では、どうすればいいかというと、これはもう、絶対に呪文・・・つまり、言葉の繰り返ししかない。
「私は仏陀である」「我仏陀なり」「私は仏陀」「俺、ブッダ」、何でもいいから、好きな言葉を唱えるのである。
そして、私がいつも言うように、効果的な唱え方は、
「感情を込めず、ただし、丁寧に、心の中で、出来るだけ多く」
である。
大声で迫力たっぷりに自分が仏陀だと言う宗教家もいるが、よくは分からないが、ただの変な人にしか見えない。
そもそも、気合いを込めて「私は仏陀である」なんて言ったら、傲慢な馬鹿としか言いようがないだろう。
しかし、感情を込めず、淡々と、「僕は仏陀だ」と心で唱えれば、後は、潜在意識が好ましい働きをしてくれる。

そして、仏陀でも、キリストでも、大師でも、マスターでも、自分が良いイメージを持っているものなら何でも良い。
「私は○○だ」と呪文を唱え続ければ、なったも同然である。
この仮想世界は、そのように出来ているように思える。









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