私は子供の時、夜、布団の中で、場所としての学校のことを考えるのが好きだった。
見えはしないが、夜のとばりに包まれた教室や校庭、それに、学校のいろんな場所が確かに存在し、想像力を働かせれば、その姿がありありと見える。
学校は嫌いだったが、そんなことを考えたということは、どこか好きなところも少しはあったのだろう。
また、深夜とか明け方に、やはり布団の中で眠るクラスメイトの顔を想像すると、その様子がリアルに浮かんでくる。
そんなことを熱心に続ければ、千里眼能力を得られるかもしれない。
それは、身体や心に閉じ込められた魂を解放することなのかもしれない。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M。唄:初音ミク)より~

また、私は、やはり、夜、寝床の中で、火星の様子を思い浮かべるのが好きだった。
火星の岩や、地表の様子を思い浮かべようとすると、やはり、それが見えて来る。
しかし、奇妙さを感じる。
私にとっての、瞬間である「今」が、火星では15分続くのである。
自分の周囲では、「今」は10億分の3秒しか続かない。
だが、火星では、私の現在が拡張し、それが15分になる。
それが、特殊相対性理論が保証する現実だ。
そんなことは知らなくても、直感的に奇妙さを感じていたのである。
では、アンドロメダ星雲にあるかもしれない、美しい惑星のことを想像すると、幽玄と言うほど神秘だ。
そこでは、私の「今」は200万年続くのである。
そこで何が起ころうが、私には何の意味も持たないのである。

宇宙が無限なら、無数の私がいることになってしまう。
だって、無限なんだから、無数の私がいないと考えられないし、実際、科学的には、異なる存在の数には限界があるらしい。
だが、一応、宇宙は有限のようだ。
よかった・・・と思ったら、宇宙は1つではなく、別宇宙にも私がいる。
そして、宇宙の数は・・・無限だ。
やはり、どういっても、私は無数存在する。

こんなふうに作られた世界で、私は、どんな言葉を使おう。
本来は「天上天下唯我独尊」だろう。
そこまでいかないなら「信じる」と唱えるしかない。
そして、私は必ず「勝利」する。
私は「無敵」である。
呪文は究極に向かって進化していくのである。









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