法然や親鸞すら、念仏を唱え難い、あるいは、念仏を唱えられなくなったことがあったようだ。
逆境に陥った時こそ、仏を信じて念仏を唱えないといけないのに、苦しくて、それが出来ないのである。
しかし、それは飛躍の兆しなのである。

万能呪文とて同じだ。
万能呪文は、決して、ユートピアを目指しているのではなく、これを唱えていれば、いつも楽しいことばかりで、嫌なことが起こらないというものではない。
辛いことや苦しいことがない世界はないし、人間は苦しむことだって必要である。
なぜなら、人間は進歩していくものであり、止まると破滅するが、向上には痛みが必要なのである。
楽しいことしかないというのは、間違いなくディストピアだ。
「万能呪文を唱えているのに、悪いことが起こった」
というのは、当たり前のことである。
しかも、それが重いものならブレイクの兆しかもしれない。
夜明け前は暗いものなのだ。

さて、万能呪文を唱える気にならないほど精神的に落ち込んだ時はどうするか?
最も簡単なことは、万能呪文を変えることだ。
あくまで、本当に苦しい時であるがね。
万能呪文には、
「絶対、大丈夫だ」
「全て順調だ」
「世界は意のままだ」
の3つがある。
別のものに変えれば、案外に唱えられるものである。
いかに感情を込めずに唱えることが大事とは言え、言葉の意味はあるので、痛みのある心に合わない言葉というものはある。
3つの万能呪文はどれも同じであるが、表現は違う。
普段、万能呪文を変えてはいけないというのは、継続のためである。
たびたび変えていると、ほどなく止めてしまうことになり易いのである。
だが、変える必要がある時に変えるのは差し支えない。
変えても、効果は全く同じである。
苦しい時に万能呪文を変えると、その後、一気に飛翔することがある。
待ちに待ったブレイクというところであるかもしれないが、あくまで、感情を込めず、心の中で淡々と唱えることだ。

あるいは、念仏を万能呪文としている人は別にして、しばらく、万能呪文を念仏に変えてみても良い。
念仏と言っても、「南無阿弥陀仏」でも「南無観世音菩薩」でも、あるいは、「南無妙法蓮華経」、その他でも良いのである。
あるいは、何かの祈り言葉、あるいは、お気に入りの格言やことわざでも良い。
さらには、「ありがたい」、「なんとかなるさ」、「大丈夫」、「絶好調」など、気分に合う言葉を使うのも良い。

通常は、万能呪文の中で別のものに変えれば解決する。
しかし、そうでなかったら、何か唱えられる良い言葉を1つ選ぶことだ。

人間は心を支配出来ない。
だが、言葉だけは支配出来るのである。
あなたの言葉は、世界へのコマンド(命令)である。
言葉には、それだけの権威がある。
最も悪いのは、その言葉が悪いことだが、人間の頭は、放っておいたら、悪い言葉ばかり発するのである。
だから、呪文を忘れてはならない。









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