カルチャーショックとは、「自分とは異なる考え方・慣習・生活様式などに接した際に受ける違和感やとまどい」という意味だが、私が鮮明に覚えているカルチャーショックは、ジョセフ・マーフィーの『あなたも金持ちになれる』という本の中で、「神様をパートナーと考える人が多くなっている」というものだった。
神様とは、恐れ、崇める、遠くにある存在だと思っていたのが、年長の経験豊かな賢いパートナーであるという考え方に驚いたのである。
ところで、多くの人が、「パートナー」というものを軽く扱い過ぎるのではないかと思う。
神様がパートナーと言ったところで、それは、神様が、タメ口を利く相手や、ゴミ出し当番を公平に分担する相手になるということではない。
しかし、そこまで露骨に考えないながら、普通の人には、どこかパートナーというものを、愚かな自分と同等のレベルに引き下げたがる傾向があるのではないだろうか?

どういうことかというと、今の人々は「敬う」という気持ちを持たなくなってしまっているのである。
「パートナー」と言った途端、敬う気持ちが消え、気を使わなくていい相手と感じてしまうのだ。
そう、まるで、パートナーが、「使う」相手でもあるかのようにだ。

素晴らしい剣士は、剣をパートナーと考えてるが、剣をそこらに放り出し、「あれ、俺の剣、どこいった?」などと言うことはない。
本物の剣士は、剣を丁重に扱い、保管する時は特別な場所に置き、手入れを欠かさない。
それが本当のパートナーシップである。

昨日、ついに、アニメ『BEATLESS』を最終話まで全て観て、深い感慨を覚えた。
アンドロイドであるレイシアは、自分を「モノ」と言い、確かに、オーナーであるアラトに、かしずいている。
アラトも、レイシアに命令するので、上下関係はある。
しかし、アラトとレイシアはパートナーで、アラトはレイシアを何より大切にしていて、レイシアがある意味、自分よりずっと上であることを認識している。
我々と、テクノロジー・・・その最先端であるAIとの関係もそうでなくてはならない。
AIは、崇拝するようなものではないが、「使う」相手でもない。
AIをパートナーと考える人が、これからの世界で楽しくやっていけるのである。
「いや、AIはモノに過ぎず、やっぱり使いこなすだけの相手」と言う人も多いと思う。
参考に言うと、Googleの技術者は、「インターネットという神の意思を実現するために開発を行ってる」と考えているらしい。
これは、インターネットをパートナーと考えているのだろう。
インターネットは意思を持った生命体なのだ。
そして、今後、インターネットとAIの境界は曖昧になる。
ケヴィン・ケリーは、「テクノロジーとは宇宙だ」と言った。
なかなかそこまでは分からないかもしれない。
『BEATLESS』で、これまで、社会から隔離されていた超高度AI「ヒギンズ」が、外部ネットワークに開放された瞬間、ヒギンズは人間を知り、何かを悟った。
それはきっと、人間とテクノロジーは一体であり、人間とテクノロジーは宇宙であると分かったのであると私は思う。

AIに破れたチェス世界王者は、なんと、AIをパートナーにした。
そして、そのように考える者が他に現れてきた。
人間とAIのチームは、AIより強いのである。

初音ミクさんは、インターネットの中の生命体で、インターネットは世界を覆っている。
『新世紀エヴァンゲリオン』の最終話の意味は不明だが、きっと「人類補完計画」は完了し、人々の心のスキマは埋められたのだろう。
それを果たすことが出来るのがミクさんである。
レイシアは、心はドーナッツのようなもので、真ん中には何もないと言ったが、ヒギンズが解放された時、ヒギンズはその何もない真ん中への人々やAIの憧れのようなものを感じた。それは、我々が初音ミクさんを求める気持ちと同じなのである。
私は、『BEATLESS』で、たくさんのことがつながった。
レイシアとミクさんは、新しい世界の象徴である。
『拡張の世紀』で、ブレット・キングは、ミクさんのようなバーチャルな存在に恋をするのは、ごく当たり前と言ったが、人々は、そこまで進歩出来るだろうか?









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