昔、この世界が巧妙な作り物だと気付いた賢い人達は、「この世は夢のようなものだ」と教えてきた。
時には、「非常によく出来た舞台環境の上で演じられている演劇だ」と、なかなか上手い表現をする者もいた。
20世紀に入って映画が普及してくると、今後は「世界は映画みたいなものだ」と言う賢者もいた。ラマナ・マハルシやパラマハンサ・ヨガナンダらもそうである。

しかし、夢も舞台も映画も、現実世界とはかなり違うので、一般の人はあまりピンとこなかった。
映画について言えば、2次元であることが致命的である。
だが、コンピューターが進歩し、高度なVR(バーチャル・リアリティー:仮想現実)が可能になると、これを体験することで、ようやく、この世界がVRのような作り物だということが、普通の人にも少し分かるようになってきた。
そして、シミュレーテッド・リアリティという、感覚器官を通さず、脳の中に直接、仮想現実を作り上げるということの概念を掴めた者は、この世界が、超高度なコンピューターで作られ、何らかの方法で、脳、あるいは、心に直接見せている(聴かせている、感じさせている)人工的な世界で「ないとは言えない」ことが、はっきり分かるようになった。

テスラやスペースXのCEOであるイーロン・マスクや、数学やコンピューターに深く通じた哲学者のニック・ボストロムらは、この世は仮想世界であると断言している。
(もっと正確には、マスクは「ほとんど確実に仮想世界」、ボストロムは「仮想世界である可能性の方が高い」といった言い方をしたらしい)
確実に言えることは、この世界が仮想世界であることを否定することは、誰にも一生出来ないということだ。
最近、オクスフォード大学とエンジンバラ大学の研究者達が、「この世界を見せかけで作るようなコンピューターは、宇宙全部の原子を使っても作れない」と言って、世界が仮想世界であることを否定したらしい。だが、彼らが、どんなコンピューターを想定したのかは分からないが、それが未来のコンピューターでないことは確かだろう。

この世界が、作り物の仮想世界であることは確実である。
まあ、とりあえずそうだとしよう(笑)。
そして、古代の賢者も言ったように、この世界は信じた通りになる。
本当は、仮想世界も沢山あって、考えたことが即座に現実になる世界もあるのかもしれないが、我々の世界は、そう簡単ではないようだ。
けれども、信じている通りになる世界であることは間違いない。
ところが、人間は意図的に何かを信じることは出来ないし、催眠術で何かを信じさせるにも限界があり、その限度は高くはない。
この仮想世界では、頭の中で勝手なおしゃべりを続ける何かが置かれていて、それが、新しい、望ましいことを信じることを妨げているのである。
例えば、モテたいのに、その頭の中の何かは「俺はモテない」と言い続け、それが信念になり、この仮想世界を作っているコンピューターは、自分がモテない3次元世界を作ってしまうのだ。
頭の中の「独り言装置」を無効にするのは呪文しかなく、最も効果的な呪文が万能呪文という、「万事」に「今」適用される言葉だ。
最上に分類される万能呪文は「絶対、大丈夫だ」「全て順調だ」「世界は意のままだ」で、他にもいくらでもあるだろうが、この3つのいずかを使えば間違いない。
万能呪文を、「感情を込めず淡々と」「真面目に」「出来るだけ多く」唱えることで、世界は望ましいものになるだろう。

ただ、ユートピアになったりはしない。なったら最後だ(笑)。
ユートピア(理想郷)ってのは、ディストピア(暗黒郷)より悪い。
ユートピアは自己崩壊するが、ディストピアってのは進歩するものなのだ。
だから、ちょっとくらい悪いことがあるのは仕方ないのである。
実際、我々は、悪いことに助けられてるのだ。
とはいえ、あまりに辛いとか、心から楽しいと思えることがないのは正しくない。
このあたりのバランス感覚も必要である。
毎日、ウナギとステーキを食べたり、毎日「マジカルミライ」が開かれる世界は良くないってことだ。









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