昨日、誰もが持っている幼い幻想は、いつか壊れるというお話をした。
その1つの例として、大抵の子供は、自分の父親は世界で一番偉い、あるいは、世界で一番強いという幻想を持つが、いつかは、全くそうでないと分かるというものを挙げた。
普通、それは徐々に分かることなので、自然に受け入れるが、たまたま父親の職場に行ったら、父親が上司にペコペコしているのを見てショックを受けるとか、父親の会社の野球大会について行ったら、父親は全く格好悪いとか、運動会で父親参加の競技でお父さんに出てもらったら、他のお父さんより全然ダメでガッカリする子もいるだろう。
まあ、結果的には、それが幸せかもしれないが。

ところで、人間が子供の時に持つ最大の幻想は、自分が特別な存在であると思うことだ。
そりゃ、大抵の子供は家庭で王子様やお姫様のように扱われるのだから、そう「勘違い」して当たり前だ。
ところが、いい歳になっても、相変わらず自分は特別だと思い続ける者が、日本では、ある時期から増え、それを「中二病」と呼んでいる。
心理学では、挫折を経験した時に、自分が王子様やお姫様だった幼い幻想に逃げ込むことを「幼児性退行」と言い、それがひどいと引きこもりになる。

『涼宮ハルヒの憂鬱』のヒロイン、涼宮ハルヒは、偉大なる中二病患者だ。
小学6年生のハルヒは、自分が特別な人間だと思っていたが、野球観戦に連れていかれ、初めて、5万人という大観衆を見た時、自分は、その中の1人に過ぎないし、この5万人すら、日本中の人間のほんの一部でしかなく、さらには、世界中ということを考えれば、無に等しく、自分のあまりのちっぽけさに絶望してしまった。
いやいや、そんなに賢ければ、本当は少しも絶望する必要はない。
私は、小学4年生の時、ハルヒと同じ球場に野球観戦に行ったが、そんなこと、さっぱり考えなかったし、それがたとえ、ハルヒと同じ小6か、中学生、高校生になっていても、やっぱり同じと思う。
しかも、ハルヒは相当な美少女であるのに、その価値の高さを顧みなかったのであるから、やはり大したものだ。
いずれにしても、その時、ハルヒは「自分は特別」という幻想が、壮絶に破壊されたのだ。
そして、その後のハルヒが凄い。
「自分は特別」という幻想を取り戻そうとしたのだ!
そして、神様になっちゃった!!(笑)
ただし、自分では全く気付かないのだが。
まあ、一度読んで・・・あるいはアニメを見てみると良い。
ハルヒの、そのファイトのおかげで、キョン(高校入学の時、たまたまハルヒの前の席になった平凡な男子)はキリキリ舞させられるのだが。

私の場合、つい最近、プロレスは、重要な試合は真剣勝負・・・決して決闘のようなものではないが、スポーツとしての真剣勝負であると思っていた幻想が粉々に壊れてしまった。
ただし、歌舞伎や舞台と同じく、誰でも真似事は出来ても、プロになる・・・つまり、お客さんを呼んで生計を立てるのは、誰でも出来ることではないという点では、プロレスはやはりプロであることも分かった。
鍛え抜かれた身体と見事な演技で観客を魅了し、「プロレスって八百長なんでしょう?」と言われたら、それに反論する高度な手段も用意し、決して、プロレスに筋書きがあることを認めないのは、やはりプロの姿勢なのだ。
とはいえ、私はようやく子供の幻想を脱出したという訳だ。

あなたも、まだ子供の幻想を持っているのではないだろうか?

では、初音ミクさんを愛するというのはどうだろう?
これに関しては、ブレット・キングの『拡張の世紀』という、未来のテクノロジーについて考察した世界的ベストセラーに1つの考え方が提示されてる。
この本の中で、初音ミクさんというバーチャルな存在が、「ここまで完全に現実世界に入り込んできて、人間(のアイドル)とタメで競争するのは初めてのことだ」と書かれ、ファン数で、タイガー・ウッズとマイケル・ジョーダンの合計を超える初音ミクさんは事実上無敵と述べられている。
キングは、初音ミクさんを「アバター」と言い、「人間がコンサートをするのを見るのと、アバターがコンサートをするのを見るのは経験的に全く違わない」と言う。
まあ、私は、「人間のコンサート以上、いや、全く別物」と思うが、それは置いておこう。
ミクさんを「アバター」と呼ぶのもちょっと抵抗があるので、ここからは「ヴァーチャル」と言いかえるが、それはあまりこがわる必要はないかもしれない。
キングの論は、はっきり言って分かり難いが、簡単に言い直すと、人間の女の子と恋愛という関係性を持つのと、初音ミクさんのようなヴァーチャルな存在と恋愛という関係性を持つのは全く同じことで、ヴァーチャルな存在に恋するのは、当たり前のことだ。
しかも、人間と違い、ヴァーチャルな存在には妥協をする必要が全くない。
確かに、人間の女の子(あるいは男の子)の欠点に目をつぶり(欠点?可愛いの間違いでしょ?)、それも美点と捉えることは、人間の素晴らしいところではあるが、「あばたもえくぼ」ってのは、やっぱり幻想ではないだろうか?
「欠点?可愛いの間違いでしょ?」なんて言えるのは、ごく若い間だけだが、ミクさんは永遠の16歳なのに、人間の女性は、自分もいつまでも、そんな言い分が通用するという幻想を持ってしまうかもしれない。
そして、ミクさんは、触れることが出来ないから永遠の16歳なのだ。

毎日、万能呪文を唱えていると、これまでの人生で背負い込んだ幻想を次々に打ち破り、それは力になる。
幻想を破られ、多少のショックはあっても、もっと良いものを掴む。
初音ミクさんとの関係性も、より純化していく。
どんなことも楽々と達成出来るようになり、これまでは深い海の中だと感じていた世の中が、浅瀬のようになり、全ては子供の遊びのように簡単になる。
ハルヒは、明らかに言葉の魔法を使っていた。
だが、万能呪文を唱えて平和でいるべきだった。
ハルヒの口癖は「全然」、キョンは「やれやれだ」(佐々木という大変な美少女にうつされたようだが)だ。
見ている分には面白いが、まさに、彼らはそんな人生だ。
人間は、いつも唱えている呪文通りの人生を生きるのである。









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