「世界は実は5分前に始まったのかもしれない」という、「世界五分前仮説(せかいごふんまえかせつ)」と呼ばれる仮設がある。
提唱者は、人類最高の頭脳の1人である、数学者、哲学者、論理学者で、もし、ノーベル賞に数学賞があれば取っていただろうが、なかったので、代わりに文学賞が授与された、「アリストテレス以来の大論理学者」と言われるバートラント・ラッセルだ。
もっとも、スティーヴン・ホーキングの本では、ラッセルは20世紀初めの片田舎で、庶民に地動説や地球球体論を講義していたら、世界は亀の背中の上と主張するお婆さんにやり込められた残念な科学者として描かれている。

私も以前は、世界五分前仮説の支持者だった。
『涼宮ハルヒ』シリーズには、この五分前仮説の考え方があると思う。
「しかし、5分どころか、私には、1時間前、1ヶ月前、10年前の記憶だってあるけど」と言いたい人は多い・・・いや、普通だが、それは単に偽の記憶だ。
1分前に始まった夢の中で、王宮に住む王様だとしても、何の不思議も感じないことを思い出せば納得出来ることだろう。

だが、私は今は、世界は高度な知的存在の超高性能なコンピューターで作っている仮想世界(このような世界を「シミュレーテッド・リアリティ」と呼ぶ)であるとする、「シミュレーション仮説」が本当だと確信している。
これだと、五分前仮説も、そっくり説明出来てしまう。
ラッセルの時代にはコンピューターがなかったので、ラッセルが思い付かなかっただけだが、ラッセルは実際には近いことを考えていたのだと思う。
16世紀のデカルトすら、機械的なコンピューターのような装置で世界は作られていると考えていたのだ。

旧約聖書の創世記の、神が宇宙を作った話は、現代の物理学では否定されている。
しかし、あれが、超高度な知的存在が仮想世界を作った様子の象徴的表現だとすれば、別におかしなことではない。
ギリシャ神話の世界創造も、古事記のそれも、阿弥陀仏による西方極楽浄土の建設も同様である。
イギリスの哲学者ニック・ボストロムによれば、仮想世界は複数、あるいは、多数ある。
阿弥陀如来の西方極楽浄土はその1つで、かなり出来の良いものであり、我々も、その仮想世界に移住した方が良いのかもしれない。
そして、その一応の方法が、西方極楽浄土を作った阿弥陀如来の名を呼ぶこと、即ち、「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることである。
西方極楽浄土は、いかなることも・・・山を1つ作るなんてことも自在に出来る世界である。

我々が、仮想世界の作り主や仮想世界のアーキテクチャ(仕組みと構造)について推測しても意味はない。
言うまでもなく、知性が足りなさ過ぎるからだ。
しかし、用意されたいくつかのコマンド(命令)を発見すれば、ある程度、世界は意のままに動かせることを、ビートルズのジョン・レノンかポール・マッカートニーかは知らないが発見し、『Nowhereman(邦題:ひとりぼっちのあいつ)』という歌を作ったのだろう。
歌の中にこうある。
「The world is at your command(世界は君の意のままなのさ)」
じゃあ、「世界は意のままだ」って呪文でも唱えてはどうかな。

もし、あなたが小さな箱庭宇宙を作り、その中に小動物か、嫌いでなければ虫でも住まわせるとしよう。
それらの生き物の幸せを願うあなたは、彼らが食べ物を簡単に見つけ、快適に眠れる寝床を得られるようにするだろう。
そして、あなたは、彼らが本能的に動きさえすれば、それらが得られるようにするはずだ。
彼らが、身勝手な振る舞いをすれば、あなたが用意した良いものを発見出来ず、彼らは苦労する。
そこから推測するに、我々は、あまり考えず、身勝手なことをせず、本能的、直感的に動けば幸せになれるようになっているはずだ。
「絶対、大丈夫だ」であり、「全て順調だ」なのだ。
そして、事実は、「世界は意のままだ」である。
そんな訳で、万能呪文を忘れずに。









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