ぼーっとしている時でも、脳は大量のエネルギーを消費して活動していることは、脳の研究で分かっているらしい。
そして、その働きの1つとして、1分に300もの言葉をつぶやいているが、ほとんどの人の場合、そのほぼ全ては、否定的なつぶやきだ。
つまり、「駄目だ」「うまくいかない」「失敗する」といったものだ。
そして、優れた力を発揮する人というのは、意識と無意識の中間くらいで、頭の中で肯定的なつぶやきをしていることも分かっている。
天国と地獄を決めるのは、この、肯定的つぶやきをするかどうかだ。
だから、人間は、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)や、肯定的呪文のようなものを持たなくてはならない。
ただ、それに気付いている人も少なくはなく、それを教える人も沢山いるのだが、間違った教え方をするので、誰も効果を発揮しない。
正しいアファーメーションとは、「たった1つ」であることと「多少、控え目な言葉」であることだ。
まさしく、ほとんど全ての指導者が、この真逆、即ち、「あの言葉も、この言葉も」「勇壮、壮大な言葉」を薦めている。
アファーメーションは1つでなければ続かない。
続ければ続けるほど威力は高まっていくのに、沢山の言葉を使うので、熱意のある僅かな期間しか続かない人が圧倒的だ。
「私はいくつものアファーメーションをちゃんと使っている」と言う人は、やっぱり不安定で、それほど長くは続かないものだ。
そして、アファーメーションは「大丈夫」「絶好調」みたいに、シンプルで、親しみ易いものが良い。
何をアファーメーションにすれば良いか分からなければ、とりあえず「大丈夫」か「絶好調」にしておけば間違いない。
しかし、「では」と言って、この2つを両方使うと、威力は1/100になってしまう。
長嶋茂雄さんの「メークドラマ」は、1回だけ、たまたまうまくいったので有名になったが、実は、その後はさっぱりなのだ。
こんなマスコミ向きの派手な言葉は、そんなものだ。
「メークドラマ」はその後、「メークミラクル」に変わり・・・ますます駄目になったのだ。

なぜ、派手な言葉が駄目かと言うと、アファーメーションに熱情は不要だからだ。
丁寧に、淡々と唱えればよく、感情を込めると、やはり続かない。
そもそも、アファーメーションは事実と違うことも言うのだから、感情を込めると葛藤が生まれる。
「私は美しい」と感情を込めて言うと、大抵の人は、「本当は美しくない」という思いに苦しむ。
だから、「言ってみた」程度に、「私は美しい」と言えば良い。
「言ってみただけ」「言うくらいタダ」という気楽さが必要だ。

『荘子』に木鶏(もっけい)の話がある。
闘鶏の鶏の中で最強なのは、木鶏のごとく、他の鶏が何をしようが、ぴくりとも反応しない鶏で、そんな木鶏のような鶏には、他の鶏は怖くて近寄ることも出来ない。
ライオンの集団でも、ボスになるのは、必ずしも体力が一番のライオンではなく、やはり、不思議な貫禄のあるライオンなのだが、その貫禄は、動かぬ心による。
人間においても、不動心である者が一番強い。
しかし、ほとんどの者が言うだろう。
「私の心は常に揺れ動き、不動心とはほど遠い」
そんなことはどうでも良いのである。
「不動心たる我に敵なし」
と、言葉で言えば、それで自然に不動心になり、何も恐れなくなる。
そうなれば、あなたの行く手を遮るものはない。
このアファーメーションを、感情を込めず、ただ丁寧に淡々と繰り返せば超人になれるのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加