当時、20代だったヨガ指導者の藤本憲幸氏の本の中に、面白い実話があった。
自信のない暗い二十歳くらいの青年(男性)が、突然悟りを開いて超人になったと自称してやって来て、藤本氏も、胡散臭くは感じたのだろうと思う。
しかし、その立ち居振る舞いは堂々として立派だし、実際、沢山の人達に敬われているようでもある。
その若き超人が話したことを読むと、私も、やはり何かを掴んでいるとは思う。
コリン・ウィルソンの本にも、やはり劣等感と無力感に取りつかれた駄目な青年が、少しの間に啓示を受けたように生まれ変わり、実際に人々の信奉を集め、賢者と言えるほどであるというお話がある。

藤本氏は、その超人の青年に、ダイエットの方法を尋ねている。
超人の青年は、「自分はすでに10kg痩せてすっきりした身体になったと思うと良い。食事を制限したり、運動したりは不要」と言う。
藤本氏も、それには反対ではないようだったし、私もそう思う。
ただ、「思う」というのは、かなり、シンドイ・・・つまり、負担なのだ。
シンドくて負担だから、大抵・・・いや、99%続かない。
そうではないだろうか?
成功哲学の本に書かれている通り、金持ちになった自分、美人美男になった自分をイメージしても、それを10日続けられた人は、まあ、いないと思う。
一方、コリン・ウィルソンの本にあった「元駄目で今は立派な」青年の方は、もっと良い・・・つまり、実行可能な、実際的、合理的なヒントを与えてくれる。
その青年は、ある時、「僕はなんて駄目なんだ」とつぶやいたら、それを聴いた人が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」と青年に言ってくれた。
それから数日で、青年は生まれ変わった。
その本には、青年が「君はちっとも駄目じゃない。自分でそう思っているだけだ」という言葉について、ずっと考え続けたことになっているが、考えるだけでは、少し気が晴れはするかもしれないが、すぐに元に戻るはずなのだ。
本には書かれていないが、この青年が、そんなに立派になれたとしたら、1つにことをやっただけなのだ。
即ち、自分は駄目ではないという意味の言葉を、頭の中でずっとつぶやき続けたのだ。
それは、「僕はちっとも駄目じゃない」を意味するような言葉で、例えば、「僕は可能性に満ちている」「僕は希望に満ちている」「僕はどんなことでも出来る」などだ。
「大丈夫」とか「絶好調」でも良いし、その時、たまたま、その青年が、ノーマン・ヴィンセント・ピールの本『積極的考え方の力』(トランプ大統領の愛読書でもある)や、聖書を読み、「私を強くして下さる方によって、私はどんなことでも出来る」という言葉を覚えて、それを唱えたのかもしれない。

藤本氏の本の方の超人の青年も、やはり、何かの言葉を唱え続けたはずなのだ。
心で抽象的に思ったり、イメージするのは、やはり、大きな負担であり、それを続けられる人はいない。
法然も、仏の姿をイメージし続ける正統的な修行は、よほどの人でなければ続かない・・・あるいは、よほどの人であっても続かないと思ったから、「南無阿弥陀仏」の念仏だけを選ぶべきであると言ったのだと思う。

どんな駄目な人間・・・このブログに時々出てくる、まるで駄目男君(30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)ですら、たった1つの言葉をつぶやき続ければ、上の2人の青年のように、強くなり、幸福になれるのである。
その言葉は、早い話が何でもいいし、何度か変えても良い。
1つの特別な言葉があれば、人生の問題の99%以上は(おそらく100%)解決する。
「大丈夫」「絶好調」で良いのである。
「私に恐れはない」でも、「奇跡は起きる」でも。
すぐに1つ決め、ずっと唱えるべきである。
もちろん、独自に決めても良いが、あまり凝らないことだ。
すぐに始めた方が良い。
ただ、注意しておきたいのは、特別な言葉は1つでなければならないということだ。
2つ以上だと、ほとんど続かないのだ。それで失敗する人が、あまりに多いのである。
つまるところ、「大丈夫」も「絶好調」も「奇跡は起こる」も同じなのである。








↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加