人生に勝利するか、敗北するかを決めるのは、次の質問への答がイエスかノーかだけで決まる。
その質問とは、「ただ1つの特別な言葉を持っているか?」である。
象徴的に「光線銃を持っているか?」と言うのも良いと思う。

イエスや釈迦がそうなのだが、グル(導師。霊的教師)とか、マスターとか呼ばれる人物がいる。
江戸末期の神道家、黒住宗忠もそうだった。
グルの役目は、弟子に、特別な1つの言葉を授けることなのだ。
黒住宗忠はある時、一人の武士に「人はアマテラスオオミカミと1つである」と言ったが、初めは、その武士は何も感じなかった。しかし、2度目に宗忠にそう言われた時に悟った。
このように、宗忠は、一人一人の弟子に合った言葉を授けた。
近代のインドの聖者ニサルガダッタ・マハラジは、師に、「あなたは至高の実在である」という言葉を教えられ、この言葉を覚えていたので、修行は何もしなかったが、わずか4年で悟りを開き、マスターになれた。

昔は、肉体を持ったグル、マスターの存在は重要だった。
だが、出版や放送が発達し、ついに、インターネットの時代になったが、BI(Before Internet インターネット登場前)と、AI(After Internet インターネット登場後)の世界は全く違う。
出版が十分に発達して以降ですら、意思さえあれば、特別な言葉を見つけることは容易になった。
志さえあれば、見えないグルがささやいてくれるからである。
見えないグルは自分の中にいる。
自分の中にいるグル・・・それは、神とか仏と呼ばれる存在だが、頼りになるパートナーだと思えば、そうなってくれる。
人間は、内なるグルとの道が閉ざされていることが多いのだが、特別な言葉が、その扉を開くのである。

アーマンド・ハマーはわずか7歳で、特別な言葉「自分より優れた人達の役に立てるように」を得、20代前半で富豪になり、90歳を過ぎても自家用ジェットで世界を飛び回って、世界のためにビジネスをした。
彼は恵まれていた。特別な言葉を早くに知ったからだ。
だが、彼は、その言葉を押し付けられたのではない。
子供の時に、特別な言葉を持つことは良いことではあるが、大人が無理に決めては絶対にいけない。
子供が、それを自然に得られるよう、慎ましく導くのが良いのである。

老子は、「曲則全」(『老子』22章)とさりげなく言ったが、彼からそう聴いて、あるいは、『老子』のその言葉を見て、それを覚え、仙人になった者は多いと思う。
恐るべき光線銃だ。
「曲がれば全能」であるのだ。
「曲則全」・・・岩波文庫の『老子』では「「曲がっているからこそ全(まっと)うできる」と訳されている。
徳間文庫の『老子』では、「屈して全(まった)きを得る」である。
地湧社の『老子(全)』で、王明氏は分かり易く「屈伸できれば自由自在である」と訳している。
これだけ言えば、ピンと来ると思う。

志あれば、無理に探さなくても、たった1つの特別な言葉は与えられる。
だが、心が眠り呆けていては、それを見逃す。
心を澄ませて、聖典や童話を読んでみると、あっさりと見つかるかもしれない。









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