ミス・ユニバースの優勝者、あるいは、出場者を見て、美しいとか、好ましいと思ったことは一度もない。
子供の時、自分も大人になったら、ああいうのを美人と思うようになるのかと思ったらゾっとして、大人になりたくないと思ったものだ。
早い話が、ミス・ユニバースの審査員と私は、女性の好みが全く違うということだ。
あくまで私から見ればだが、よほど変な人達が審査しているのだろう。

AKB48は・・・まあ、こんな狙いもあるのだと思うが、集団で見れば、それなりに可愛いと思うが、1人1人を見れば、私はあまり好きな子はいない。
乃木坂46の白石麻衣さんが凄く人気があるらしいが、彼女の場合は、きれいな人だとは思うが、付き合いたいとは思わない(心配しなくても付き合ってくれないだろうが)。

女性の好み、男性の好みであれば、こんなお気楽に語れるが、世の中というものは、ことごとに個人の好みが否定されたり、無視されたりするものだ。
政府や学校、あるいは、会社や家庭では、全く自分の好みとは違う主義や美的感覚が強いられる。
それが好きでないと言ったりしたら、「お前はまだ子供だから」「お前が未熟だから」「お前が馬鹿だから」ということにされてしまう。
馬鹿とか変人奇人と思われたくないから、自分の好みと違うものを、好きなフリをし、自分でも、それを好きだと思い込んでしまったりする。そんな人の人生は悲惨だが、それなら、まともな人の人生は悲惨なのだ。世の中の好みなんてまともじゃないからね。

成功法則にしても、いかに世界一とか日本一の富豪の教えであろうが、自分の好みに合わなければ、小さな成功すらもたらしてくれないばかりか、大きな失敗を招きかねない。
例えば、有名な斎藤一人さんやディーバック・チョップラの教えが素晴らしいと言っても、それが自分の好みに合わなければ、実践すればするほど哀れになってくだけだ。そして、かなり多くの人が、彼らの教えは好みに合わない。私について言えば、斎藤さんの教えは、全部ではないが、ほとんど好みに合わないし、チョップラに関しては、まずあの顔が生理的に受付けない(笑)・・・いや、それも大事なことである。
成功法則ではなくても、経済問題などの評論や啓蒙の書が沢山あるが、著者の写真を本の表紙に付けるのはやめて欲しいものだ。それだけで、ほとんど全く読む気が起きなくなる。
著名人かもしれないが、著者のドヤ顔の写真はほとんど醜く、百万円くれると言われても読む気にならない(百万円なら嫌々読むかもしれないが・・・)。

全てのことで、自分の好みを優先すべしと言うつもりはない。
好みに合わないことだってする必要はある。
教師や上司は、自分の好みで生徒や部下をえり好みしてはならないが、今はそれ(えり好み)はしっかりやっている馬鹿が多いのである。
まあ、逆に、生徒や部下も、自分の好みで教師や上司への対応を露骨に決めているのだから、お互い様とは言えるかもしれないが、それもやっていいことではないし、私ならやらない。

自分の好みを置いておかないといけないことは沢山ある。
しかし、絶対に自分の好みで選ばないといけないのは、アファーメーション(心を鼓舞する言葉)である。
成功や幸せのために、人間に出来ることは、言葉を選び、使うことだけである。
最初に言葉ありだ。
アファーメーションが人生最大の武器であることは確かで、これを持っているかどうか、そして、どのくらい使うかで人生は決まる。
そして、アファーメーションは、絶対に自分の好みに合った言葉でなくてはならない。
どんなに凄い人が、「このアファーメーションが素晴らしい。これを使いなさい」と言っても、それが自分の好みに合わないなら、それは最低の言葉でしかない。
逆に言えば、自分の好みに合いさえすれば、それが良いアファーメーション・・・人生の頼りになる武器なのである。
あなたは、たった1つの自分のアファーメーションを持っているだろうか?
そして、それをいつも使っているだろうか?
他は忘れても差し支えない。しかし、それはやる必要がある。









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