バーチャル・リアリティ(仮想現実)とは、コンピューターが作った映像や音による、いわば、嘘、偽物の世界で、リアリティ(現実感)が高いほど優れている。
一方、シミュレーテッド・リアリティ(普通、訳さず英語のまま言う)は、リアリティという点では、高過ぎて現実と区別は付かない。あるいは、「シミュレーテッド・リアリティも1つの現実」である。
人間は、世界が実際にはどうなっているかは分からず、人間に分かるのは「脳が作り出した幻想」だけである。
だから、実際のところ、現実と呼んでいるものも、シミュレーテッド・リアリティだし、高度なバーチャル・リアリティと言って良いかもしれない。

シミュレーテッド・リアリティは、まだ馴染みの無い言葉だと思うが、超高度なバーチャル・リアリティなら、映画『マトリックス』シリーズや、川原礫氏の小説・アニメ『ソード・アート・オンライン』や『アクセル・ワールド』があるらしい・・・なぜ「あるらしい」と言うのかというと、私は『アクセル・ワールド』を途中まで読んでいるだけだからだ。

アメリカの古いSFテレビドラマ『スター・トレック』の中に、高度な幻想を作り出す能力を持つ宇宙人がいる星のお話がある。
地球のある宇宙船の、若く、優秀で、素晴らしい男性である船長は、大事故に遭い、生き延びはしたが、身体の機能の大半を失ってしまう。
正直、気味が悪いので、好きな映画ではないが『ジョニーは戦場に行った』のジョニーのような状態だ(初めてこの映画を見た夜はうなされた)。
その星を去る時、カークは見る。
その、不幸な船長が、その星の幻想の力で、元通りの、強く、美しい姿で生き生きと活動する様子を。
カークの顔は喜びに満ちていた。
それは、幻などではない。全くの現実である。

私達が生きている世界も、現実といえば現実だし、シミュレーテッド・リアリティだといえばシミュレーテッド・リアリティだ。
両者に違いはない。
テクノロジーの進歩によって、シミュレーテッド・リアリティあるいは現実を操作することも出来るようになるが、元々、世界は心が作り出した幻、あるいは、現実である。
インドでは、明確に、古代から、世界は幻(マーヤー)であると言われてきたが、それを自分で作っているということには、なかなか気付かない。
神が作った幻と言うなら、『バガヴァッド・ギーター』に書かれているように、神は我々の心臓に、あるいは、心に住んでいる。
マイケル・タルボットの『投影された宇宙(ホログラフィック・ユニヴァースへの招待)』では、それを量子力学を取り入れて説明している。

それで、嘘でも本当でも、どっちでも良いが、どうすれば、この世界を自由に好みのように出来るかを、皆知りたいのだろうが、テクノロジーの力でそれが可能になるとしても、それがユートピアかディストピアかは分からない。分からないが、ディストピアに陥り易いとは言える。
世界は「ままならぬ」から面白い。たとえ、そう気付いていなくても。
だが、「計画現実」とでも言おうか、ストーリーを上手に書けるようになれば、現実をコントロールしても、これまでより高いレベルで楽しむことが出来、それが、宇宙や人間の謎を解くことになる。
その練習方法は「手探りの行動」である。
いきなり大胆にならず、かといって、消極的でもなく、「決心」と「活動」を繰り返せば、世界は自由な遊び場になる。
そんなものだと知っておくだけでも、うまくいくだろう。









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