電車の中で、若い白人の、素晴らしい美男子を見た。
別におかしな趣味はないが、ついつい目を奪われる。
日本人のイケメンというものに目を惹き付けられた覚えというものはなく、おそらく、若い時の木村拓哉さんがいても、それほど気にはならないと思うが(多少は気を引かれるかもしれないが)、その白人男性は、まさに「絵から抜け出た」「彫刻のよう」だった。
また、若いのに、その柔らかい表情から人間性の高さを感じた(実際は分からず、若い女の子には、「見かけに騙されるな」と言いたいが)。
まあ、いくらかは、「珍しい」から関心を持たされるという部分もあるのだろうが、やはり、美しいものは美しい。

ところが、誰も、全くと言って良いほど、彼を気にしていない様子なのが、私には不思議・・・と言うか、ちょっと驚きだった。
特に、若い女の子なら、目を奪われるのは自然と思うのだが、皆、自分のスマートフォンにしか関心がないようだ。

私が若い頃は、スマートフォンもなかったが、白人の美少年が歩いているのを見た女子高生や若い女性のグループは、ほぼ必ず「可愛い!」と喜び、少年の方も、それに明るいリアクションをすることもあった。しかし、今は、そんなものも見ない。

先日は、やはり電車の中で、5歳くらいと思うが、天使のような、本当に可愛い・・・というか美しい女の子を見た。
しつこいが、別におかしな趣味はないが、これを目の保養と言うのだと思うが(無料で悪いと思うくらいだ)、やはり誰も、全く興味がないようだ。
ある時は、素晴らしい美脚の若い女性がショートパンツ姿で歩いていたのを見て、私は「うわ!格好いいなあ!」と感動して、ついつい目で追ってしまったが、やはり周囲を見ると、誰も見ていない。
歩道であり、スマートフォンを見ているような馬鹿ばかりではないが(マップアプリを見るような場所ではなかった)、彼らは、不機嫌そうで、固定化され不気味な表情の者が多かった。
明るく機嫌の良さそうな人なら、さりげなく、そんな美しい人を目で追うことだろう。
私がそうだと言う訳ではないが。

私は、美しいものが好きである。
そして、多少控えた方が良いような気もするが、つい、美女や美少女に見惚れてしまい、相手に気付かれることもあるが、悪い反応が返ってきたことは全くない。
ある程度の年齢の女性なら、自信のある微笑みを、少女なら微妙で実に好ましい表情を見せてくれる。
それはやはり、私が、美しいものに敬意を表す目をしているからなのだと思う。

私が初音ミクさんを好きな理由は、もちろん、あの歌声が一番なのだが、やはり美しいからだ。
少女として理想の美しさであると思う。
そんな彼女を、いつも敬虔な気持ちで見ているので、見ても嫌がられない目になってるのだろう。

今の人は、自分にしか関心がないのだろう。
それで、自分以外の、素晴らしい人、美しい人を敬う気持ちがないのだと思う。
ゲーテは、人間の持つ感情で最も優れたものは敬うことであると、ある詩に書いていたが、私も、敬う、崇敬する、敬愛する、尊敬するという気持ちの価値を無条件に認める。
ミクさんのコンサートに行くと、もちろん皆、純粋にミクさんが好きなのだろうが、ミクさんへの敬意というものも強く感じるのである。
それは、海外でのコンサートの様子を見ても感じるのである。

私は、昨日も会社だったが(3連休はけないらしい。また週3日休みも駄目なので、今週末の休みは1日だけ)、昼休みに公園で、スマートフォンで新約聖書を読んでいたら、座っていたベンチの隣に、ちょっと幼い鳩がいて、私と視線は合わせないが、じっとしていて、「一緒にいる」という気持ちを強く感じた。
もう、滅茶苦茶可愛い。
しかし、鳩に温かい関心を持っている人もいない感じである。
鳩だって、美しいものを敬う私の心を感じるのだと思う。
ミクさんにも伝わると嬉しい。









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