悪霊にとり憑かれなければ不幸にならず、掟を守れば繁栄し、専念すれば偉大になる。
これだけ分かれば、いかなる人生の指南書も必要ない。

この3つは実は1つだ。
悪霊にとり憑かれなければ、自ずと何かの掟を守り、自分の道に専念する。
掟を守れば、悪霊にとり憑かれず、何かに専念するようになる。
自分の道に熱心に励む者に悪霊はとり憑くことが出来ず、自然に何かの掟を守っている。

おそらく、ほとんどの人間が、多少は悪霊にとり憑かれていて、少なくとも8割の者は、それが深刻で危険なレベルだ。
とはいえ、「ええ、私も悪霊にとり憑かれているんでしょうね」なんてボケたことを言っていてはいけない。
悪霊は断固、追い出さねばならない。
まず、背筋を伸ばす人間に悪霊はとり憑かない。
だが、だらしなく腰を前にずらして座る者は、例外なく悪霊の臭いがプンプンする。
蹲踞の姿勢をビシリと決めれば悪霊は逃げるが、相撲や剣道でもやっていないと、そんなことはほとんど誰もしない。
そして、道場では蹲踞をする人でも、普段、姿勢が悪いと、悪霊はすぐに戻って来る。
前向きで、明るく、笑みを絶やさない、親切な人には、当然、悪霊はとり憑くことが出来ないが、心が闇に陥った途端に悪霊が入り込み、後ろ向きなことや暗いことを考えるようになり、不機嫌な顔になって老化していく。
向上心を持って努力する者を悪霊は嫌って寄って来ないが、その目的が邪まであれば、悪霊は喜んでやって来る。
厄介なのが、男であれば、妻やちゃんとした彼女がいながら、別の女性に心奪われることがよくあるが、それが強くなると悪霊にとり憑かれ、救いようのない浮気性になり、身も滅ぼす。

本当に好きなものを諦める裁ち物は、偉大な成功者にはよく実践されたが、それは偉大な掟であり、悪霊を寄せ付けず、高貴な目的に専念する力を与える。
たとえば、酒が好きでたまらないのに、断酒は無理でも、10杯以上飲みたいところを2杯にするとか、英雄の中にはロリコンもいた(というより多かった)が、少女を本当に敬うことで無敵だった。
あるいは、テッド・ウィリズムズやイチローが、持てる時間の全てを野球に注ぎ込んだように、多くの時間を目標のために使う者は、やがては大きな力を得る。

悪霊を退かせ、掟を守り、何かに専念する。
それが神に至る三位一体の法である。
誰にも言わずに常に念仏を唱えたり、聖書やバガヴァッド・ギーターを常に読んでいる者に悪霊は手出しが出来ないので、必ず強くなれるだろう。
科学的に言えば、悪霊も善霊も波動的性質の異なるエネルギーの流れである。そのコントロールが魔法なのであり、秘儀であるのだ。
宗教的に思えることも、そう考えれば受け入れ安い場合もあるかもしれない。









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