誰か知らないが、きっとかなり尊敬されている人が、「幸せとは自己満足だ」と言ったらしいが、その通りだ。
一方、悟りとは、自己満足をして喜ぶ自我が消えることらしい。
ある聖者は、「100万ドルを得ても、悟りを開くと100万ドルを喜ぶ自我が無いので嬉しくない」と言ったが、ちょっと違う話がある。
有名な聖者であるパラマハンサ・ヨガナンダの師スリ・ユクテスワの師であるラヒリ・マハサヤは、御殿のような豪華な家に住みたいという強い願いを持っていたのだが、神人ババジの幻術で、その願いを叶えてもらうことで、自己満足し、悟りを開いた。
つまり、自己満足を得て幸せになることで悟りを開くのである。
世界のある場所では、昔、普通の人を1年間、王のように扱って自己満足させた後、その者を生贄として心臓を抉り出して神に捧げたというが、本当に自己満足し、悟りを開いているなら、その者は恐怖を感じないらしい。

陸上競技のスーパースターだったカール・ルイスは、世界記録よりも勝利を優先した。
その理由を、「記録はいつかは破られるが、勝利の瞬間は永遠だからだ」と言う。
つまり、世界記録の自己満足は、いつかは終わるが、勝利なら(どんな勝利かにもよるだろうが)永遠に自己満足出来るのである。
私は、それは本当だと思う。
昔、それまでの人生で、およそ勝ったことのない私が、セールスマンになって、なぜか、ベテランのセールスマン達を破ってセールスコンテストで優勝した時の自己満足は、今でも楽しめるのだ。
また、初めてマイクロソフトのMCP資格試験に受かった瞬間の自己満足も、やっぱり覚えている。

もちろん、大勢の人々の喝采を浴びて歓喜した人が不幸になることはよくあるが、それは、その時に、本当は心は満足しなかったのだ。
そんな時は、自我は一面では快感を感じていても、別の面では嘘っぽさを感じていて、その嘘っぽさが苦痛なのだ。
例えば、強盗をして大金を得たり、全く好みのタイプの女性が相手でもレイプという手段を使えば、ある程度の自己満足を感じるが、必ず不満が大きくなるばかりか、本当に自己満足することが出来なくなる。
ライバルを卑怯な手段で蹴落として地位を手に入れた場合も同じだ。
だから、自己満足を得るためにも、手段は選ばなければならない。
また、女性遍歴や浮気を繰り返す男というのは、本当に好きな人にはフラれたり、相手にされなかったのである。

本当の自己満足を得れば、自我が消えたりはしないが、自我が変容するのである。それが錬金術の本当の意味である。
高度に変容した自我は、慈悲深く、雄大で、静かである。
だから、悟りを開くと、自我は消えるのではなく、変容するのであると思う。
よって、正々堂々、自己満足を求めるべきである。
そして、そのための願いならスムーズに叶うのであり、無理矢理叶えようとする必要はない。
そして、悟りを開けば、物質世界は好きなように変えられるので、安心して1つの願いを持てば良いのである。









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