イソップの『金の斧』という有名な童話は、正直者が幸せになれるというお話だと思われているかもしれない。
だが、きこりは、正直だから、自分が落としたのは金の斧でも銀の斧でもなく、鉄の斧だと答えたのだろうか?
そうではなく、このきこりは熟練のきこりで、仕事が出来る自分の鉄の斧を選んだに過ぎない。

一方、ペローの『長靴をはいた猫』では、三男は王女と結婚し、ゆくゆくは王様になるのだろうが、それって幸せなのか?
父親と同じ粉ひき職人になるかどうかはともかく、何かの仕事で熟練した方が良いに違いない。
この話、何となく、猫が、自分が貴族になりたいがために、三男を利用したように思える。
猫の身で王様にはなれないので、チョろい三男を王様にすると都合が良い訳だ。
いや、いずれ、自分が三男に取って代わることも視野に入れているのか・・・(多分そうだ)

『金の斧』で、金の斧、銀の斧を得たきこりは、その後どうなったのか?
金の斧、銀の斧を売って大金を得たとしても(売るのも難しいだろうが、まあ、売れたとしよう)、そんな金がきのりのためになるとは思えない。
贅沢して肥満してアル中になって、金目当てに結婚した女に酷い目にあわされて、やがて惨めに死ぬだけだ。
その金で、せめて製材所でも開いたり、木材、あるいは、山を商う商人になって成功すれば良いが、さあ、どうだろう。
それよりも、自分はやっぱりきこりなんだと自覚して、仕事を楽しむようになるか、あるいは、神様に褒められたことを励みに、前向きに生きていくか・・・そんなことなら、確かに幸せである。

つまり、『金の斧』のお話は、何か1つのことを磨いておきなさいというお話なのだ。
仕事で躓いた時、神様に、
「お前の仕事は大会社の社長か、メジャーリーガーか、VBAのプログラマーか」
と問われるようでなければならない。
これが、
「お前の仕事は大会社の社長か、メジャーリーガーか、言われたら何でもやるサラリーマンか」
と聞かれたら、言われたら何でもやるサラリーマンなら、「大会社の社長だ」と言ってしまうかもしれない。
そしたら、言われたら何でもやるサラリーマンの身分すら失ってしまう。
「VBAのプログラマーです」
と答えたら、神様は、
「感心なやつ。では・・・」
とご褒美を下さるに違いない。

という訳で、言われたら何でもしなければならないサラリーマンはVBAをやろう。









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