以前、少し立ち読みして感銘を受けた本があったが、紙の本しかなかったので買わずにいた。
しかし、結局買って、初めから読んだら、あまりに面白く、昨日1日で、ほとんど読み終えた。
その本は、『誰でも勝てる!完全「ケンカ」マニュアル』だ。
同じく、ケンカ(喧嘩)を主題にした本には、骨法の堀部正史さんのものがあり、こちらも昔、非常に面白く読んだが、堀部さんは格闘技のプロである。
しかし、『完全「ケンカ」マニュアル』は、1947年生まれで高校卒業と同時に土建業の世界に入った真面目な人柄の著者が、昔のその業界にあった、日常的な暴力での争いの中での緊迫した実戦経験から見出したケンカ術は、人生哲学の域に達している。
それも、極めて実用性の高い人生哲学で、何の役にも立たないばかりか、人間を弱体化させる学校のつまらない指導理念とは真逆のものであると言って良いだろう。

著者は、かなりの格闘技もやっていたが、世間の人からみれば虫けらのような、流れ者の土木作業員の中にいるケンカの達人達に素直に頭を下げて教えを請い、ケンカの腕を上げる。
何と言っても、空手や少林寺拳法、古流柔術をウェイトトレーニングと共にかなりやっていた著者が、こと実戦のケンカでは、武術においては素人の、小柄であったり年寄りであったりするケンカ名人に全く敵わないのであるから、元々が真面目そうな著者が、いっそう謙虚になろうというものだ。

あまり読後の気分の良いものでなかったが、梶原一騎さん原作の漫画『カラテ地獄変牙』で、「最強の格闘技は喧嘩」と書かれていたのを見て、私は共感を感じたが、その真実味が増す本だった。
そして、殴り合い、刺し合いではなくても、世の中にケンカはあるどころではなく、結局は、ケンカでものごとが決まっている部分が、控え目に言っても「ある程度はある」し、ひょっとしたら「かなりある」かもしれない。
ケンカと思っていなくても、実際はケンカである場合も多いはずだ。
そして、学校でも会社でも、不遇な目に遭う者というのは、ケンカに弱い者なのである。
支配的な立場にある者というのは、もしかしたら、ケンカに強い人間なのかもしれない。
そして、ひきこもりというのは、ケンカが弱いから、実際はケンカだらけの世の中が恐くて、外に出られないのである。

別に、ものごと全てケンカ力でカタがつくと言っているのではないし、本当に賢い人間は争いを避けるものであるが、世の中にはケンカでしか交渉出来ない相手はいくらでもいるし、そんな人間は、かなり多いのかもしれない。
大きな力量のある人間なら、そんな知性のない人間も包み込み、自在に誘導出来るのかもしれないが、実は、そんな大きな人間こそケンカが強い、あるいは、少なくとも、ケンカ修行をしてきたのだと思う。
真面目に一生懸命、仕事や勉強に励んできたのにうだつが上がらないのは、ケンカが弱いからである。
この本は、そんなケンカの弱い人達にケンカの極意を教え、自由に世の中を闊歩してもらおうという意図も明かしている。

格闘技として見た、この本に書かれたケンカも、合理的そのもので、格闘技の常識とは全く異なるところも多い。
実戦ケンカであるからには、当然、金蹴りを多用するが、金的は伸ばした脚のスネで蹴るなど、なるほどと思うことが多い。
とはいえ、身体で戦うケンカすら、半分は「頭の勝負」であり、それは実社会で通用するどころか、実社会に必須である。

だが、読んで感心しているだけでは駄目だ。
ある意味、この本の著者、林悦道さんは師匠である。
林さんを超える究極のケンカ道を目指すのも良いかもしれない。
それは、全く争いとは無縁のものかもしれないが、ケンカに弱い者が、そこに辿り着くことはないであろう。
おそらく確かだが、釈迦やキリストは、恐ろしくケンカが強いに違いない。
学歴が高く、形の上では地位の高いエリートがナメられるのも、ケンカが弱いとバレバレだからだ。
逆に言えば、ケンカが強いと、どことなく威圧感を感じさせるものだ。
そして、ケンカに限界はない。上には上がいる。
ギリシャ神話の軍神アーレスも、どこかケンカに強い「ごんた」な雰囲気がある。
映画ではアーレスを倒したワンダーウーマンも、ケンカが強いから魅力があるのだと思う。









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