目標を固定出来れば、それは必ず実現出来る。
だが、目標を固定することは、本当に難しいことが分かる。
多くの人は、案外に自分の目標を語ることが出来るのだが、それらの目標の大半は、自分の心からの目標ではない。
誰かに押し付けられた目標とか、見栄から出た目標、変な妥協をした目標といったものばかりなのだ。
例えば、漫画家になりたいという目標を持ちたいが、漫画家で食べていくのはあまりに難しく、それはやめておこうと思う場合もあるだろう。
あるいは、何のために大学に入るのか分かっていないとか、本当は就職なんてしたくないのに、周囲の圧力で、そういったものを目標にさせられてしまっている。

私も、誤った目標をいくつも持っていたが、それらに振り回されて散々な目に遭ってきた。
まあ、それはそれで良い経験だったのかもしれないが。
最初に、目標を持つことが難しいようなことを書いたが、本当は簡単である。
ただ、目標は、考えて思いつくようなものではない。
何かの瞬間に、ふと思い浮かぶものである。
その瞬間には、不思議な感覚を感じる。
胸が締め付けられるような、あるいは、懐かしいような・・・おかしな感じと思うかもしれない。

真面目に生きていれば、良いアイデアが閃くが、その真面目とは、世間や親や学校の先生の言う真面目とは随分違うことが多い。
むしろ、世間や親や学校に踊らされている間は、良いアイデア、ましてや、本当の目標なんて思い浮かばない。
だけど、少々おかしな生き方をしていても、真実の瞬間はあるものだ。
花を見てきれいだと思ったり、スズメを見て可愛いと思った瞬間、心が透き通り、天使がささやくのを聞くことがある。
だから油断をせずに、常に自分でいることだ。

本当の目標があれば、常にそれに関係した何かをするものだ。
プロレスラーになるのが目標なら、どこにいて、何をしていても、筋肉を鍛えるよう工夫をするようにね。

目標を持てば、勝ったも同然である。
それは必ず実現するのだからだ。
なぜなら、心は現実世界を創造する力があるし、そのためには目標を固定するだけで良いからだ。

「A子さんを彼女にする」なんて誤った目標を持つ人は多い。
正しくは、理想的な彼女をつかまえることだ。
結果、A子さんが彼女になることも稀にはあるが、A子さんが良く見えるのは妄想である。
ポルシェに乗ることが目標と言っても、ポルシェのどこが良いか分かって言ってるのか?

1993年の4話完結のアニメ『キャシャーン』の最後で、新造人間キャシャーンとブライキングボスの決闘の時の会話が印象的だった。
「お前に特権を与えてやる」というボスに対し、キャシャーンは、「断る。お前の作った世界など俺は欲しくない。俺は俺の手で新しい世界を作ってみせる」と応える。
この刹那、交渉は決裂し、後戻り出来ない戦いとなる。
結局、この子離れ出来ないボスが負けるのは当たり前のことなのだが。

痛いくらい強く結んだ手と手を
振りほどくようにさ 君は君になってゆく
~『Birtday』(作詞・作曲・編曲:びにゅP。歌:初音ミク)より~

目標を達成した時、孤独か、チームと共にあるかは分からないが、親や教師や、親や教師のようなものと共にいることは絶対ない。
プロ野球の監督が息子をチームにいれて、息子が成功することは絶対ない。
親をコーチやマネージャーにしているスポーツ選手や芸能人もいるが、当人達は本当は不幸なものだ。
また、師を乗り越えてこそ、望む高見に立つものである。
師はさっさと捨てるか、打ち負かすものである。









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