百万円望んで一千万円得てしまうこともあれば、一千万円を狙ったのに百万円しか入ってこないこともある。
一千万円と思って一千万円の時は印象が強くて記憶に残るが、そうあることではない。
圧倒的に多いのは、一千万円を願って百万円か、あるいは、もっと少ない場合だ。
じゃあ、最初から目標を3千万円にすれば3百万円になるかというと、なぜか30万円になったりする。
3億円とかにすると、1円も入ってこないことになりかねない。
ところが、3百億円くらいにしたら、何千万も入ってきたりすることもある。

これらは、心というか、脳の性質を表している。
1つ1つ説明すると長くなるが、確実に言えることは、欲をかくと駄目なことだ。
そして、極端に目標を大きくして、ファンタジー(お伽噺)になってしまえば、案外うまくいく。
ギリギリで国内予選を勝ち抜いてオリンピックに出たら、金メダルを取ってしまった者というのは、ファンタジーとしての金メダルを目標にしていたのであり、金メダルを熱望していた訳ではない。

政木和三さんが、目標を持つなら、一生かかっても達成不可能な大きな目標を作れと言われていたのも、それなら最初から欲望がなく、目標が他人事に思えて力が抜けるということもあるのだろう。
桁外れな目標に欲望を持ってしまうのは、精神が幼いか馬鹿なのだ。
月給20万円の人にとって年収10億円というのは夢物語だが、そんな年棒を取っている野球選手やサッカー選手を見て、「じゃあ俺も」と思うのは、幼稚な馬鹿だ。
ただ、馬鹿なだけなら、案外良いのだが、悪いところだけ大人だったりするから、今の20万円の月給すら危うくなる。

昨日も書いたが、「俺が年収10億円になったら楽しいだろうな」と思うと、それがファンタジーになってしまう。
そうしたら、1億円くらいにはなるかもしれない。
まあ、実際には、1億円になったとしても、楽しいというよりは大変なだけだが、そこは、目標達成までに、減額されたり、時間がかかったりして、自動的に調整される。
あるいは、西田文郎氏の「かもの法則」で、「10億円になるかも」と思うと、やっぱり上と同じようになってしまう。
叶うファンタジーと叶わないファンタジーがある。
叶わないファンタジーの寿命は短い。
生命力あるファンタジーを作ることが出来れば、それが現実になる。
なぜなら、現実というのは生命力あるファンタジーだからだ。
時々、脳の欠陥で、ファンタジーに簡単に生命を与えてしまえる人がいる。
そんな人を天才とか魔女とか言うのだが、あまり楽しいものではない。
ファンタジーが現実になり易いが、外部に形を取った霊的な力により、強制的な制限がかかることが多い。
ただ、そんな人も、精神が発達すれば、本当の天才になる(普通の人になってしまうことも多いが)。
そんな天才の精神構造は参考になるのである。
意外だが、ジョージ・ワシントンがそんな人だったし、リンカーンがそれに近かったと思う。
アメリカって、どこか狂気なのであるが、だから面白いということもある。








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