どうしようもなく駄目な人間を引き上げることは出来ないのだろうか?
他人事ではない。
今はそう悪くないと思っている人だって、いつ奈落の底に叩き落されるか分からない。
挫折し、エネルギー、気力を失った状態の人間は、まるで駄目男(私の職場にいる30歳過ぎの人生の落伍者。派遣の雑用係)と変わらない。

まるで駄目男君を救えるだろうかという含みもあったが、斎藤一人さんの千回の法則という、「幸せだなあ」「ありがたいなあ」といった言葉を千回口で唱えることをやってみたが、これも、まるで駄目男君を救えはしない。彼は、これを続けることが出来ない。
なかなか効果が出ず、そんな中で、粘り強く続けることが出来ないことは確実だからだ。
すぐに威力を実感出来れば話は別かもしれないが、なかなかそうはいかないだろう。

私は、まるで駄目男君が好きで、彼のためを思っているのでは絶対にない。
正直に言うと、私は醜いものが嫌いなので、こんな醜悪なものを見たくないだけだ。
彼が辞めて、いなくなってくれるのが一番嬉しいのだが、辞める気がないなら、少しはマシになってくれないと困る。

ところで、まるで駄目男君のような人間を本気で救おうとした人がいる。
戸塚ヨットスクール創始者の戸塚宏(とつかひろし)氏だ。彼も既に77歳になり、彼の名を知っている人も少なくなったことだろう。
まるで駄目男君を「まとも」にするには、戦場に投げ込むのが一番なのであり、実際、それしか手はない。
ぼやぼやしてたら殺されるような状況にあれば、生存本能が自分を強くしてくれるという単純かつ確実な原理は、最後の切り札だ。
もし、そこで死んでしまうとしたら、こんなことを言うと非難されるだろうが、それは動物として欠陥があり、生きる値打ちがない。
無論、そんな者でも生きられる社会を作れるのが人間の知性であるが、それはユートピアではなく、全くのディストピアだ。
人間だって、自立して生きられる強さが必要だ。
人間は集団で生きる動物ではあるが、孤独に耐えることが出来、孤独に耐えてこそ磨かれ、向上するのである。
だから、人間は他人によっかからず、1人でも強く生きるという面が必ず必要なのである。
戸塚ヨットスクールが、どれだけの実績を上げたか分からない。あそこの生徒がどうなったか、本当のところはなかなか公表出来ないとは思うが、勝手なことを言うと、効果があったとしても一時的でしかないと思う。なぜなら、あの教育そのものに生徒の自発性がなく、ヨットスクールで立派でも、卒業したら元に戻るはずだ。
あんなものを称賛する有名政治家もいたが、頭が悪いか無責任かのどちからとしか思えないのだ。まあ、私の方が頭が悪くて無責任で間違っているのかもしれないが。

まるで駄目男君のようなエリナー・リグビーを、若きポール・マッカートニーは「彼らはどこから来て、どこに行くんだろう」と悲観的に歌ったが、やっぱりどうにもならないのだろうか?
そんなことを考え続けたせいか、脳のミラーニューロンの働きで、私もまるで駄目男に近付いてしまったような気がする。
狂人のフリをして精神病院に入ったら、出るのが大変になると聞いたことがあるが、それは本当かもしれない。
自覚はないながら、狂人を見ていると、自分も狂人になる。
精神病患者を扱う医師は危険がいっぱいに違いないし、実際、そうであると言う精神科医もいる。
ミルトン・エリクソンのように、宇宙人的に優秀な精神科医だって怪しいものだ。
いや、彼は最悪を経験しているから免疫のようなものがあったのかもしれないがね。

筋トレが人生の問題の全てを解決出来るのが本当だとしても、まるで駄目男君やエリナー・リグビーに筋トレが続けられるはずもない。
ここは本気で、究極の「簡単」「即効」を見つけなければ、私も危ない。
コンピューターシステム開発の極意も、「早い」「安い」であるので、その必要性が私には感じられる。
人生が甘くないのは確かだ。
甘いだけになったら、そこはディストピアだ。
けれども、甘くないと耐えられない人が増えてきた。
この難問に打ち勝たなければ、人類に明日はない。
だが、秘策は我が手にある。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加