じっとしていて真理が浮かんでくることはない。
心や身体、あるいは、その両方を躍動させている時、真理は気付きとして現れる。
あるいは、真剣な疑問に対し、「こうだろうか?」「それともこうだろうか?」と問い続けた時に、突飛な真理が出てくることがあるかもしれない。
そして、真理を感じた時には深い感動があるが、それを偽物の高揚感と区別出来なければならない。

こう言葉で言うと難しいが、美しいものに見とれていたり、離れていた故郷に戻ってぼんやり散歩したり、無心に修行をしている時に、何か大切なことに気付くことがあるものだ。
だが、それも、普段の生活あってこそのもので、当たり前の生活には、苦しいことや辛いこと、あるいは、厳しいことも多い。
人生はある意味辛いものだ。
老人が尊敬されるのは、そんな人生に長く耐えてきたからだ。
もし、ろくでもない老人がいたなら、それは、その老人が人生の辛いことから逃げてばかりいたからだろう。
人生は、早いうちに苦労しておくことに限る。
若い時の苦労は思い出すと楽しいが、歳を取ってからの苦労は屈辱でしかない場合が多い。
これは厳しい言葉だ。
碇シンジ君が「逃げちゃ駄目だ」とよく言っていたのは、彼は大事なことをよく覚えているということだ。いったい、誰に教わったのだろう?

報道のほとんどは嘘と心得ているので、瞬間瞬間のイメージで言うのだが、大相撲の貴乃花親方は、本当に散々な目に遭っているなあと思う。
だが、わざわざ痛い目に遭うと分かっていることを遭えてやっているところに、宿命から逃げない心の強さは感じる。
そこが、彼の現役時代の活躍を知らない人も惹き付けるのだろう。
まあ、男前だしね(笑)。
しかし、あせり過ぎると大抵のことは失敗する。そんなところも見せてくれてるような気がする。
昭和天皇の玉音放送の中の、日本人なら誰でも知っているフレーズがある。
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ(たえがたきをたえ、しのびがたきをしのび)」
それにより、「太平ヲ開カム(平和な世の中を造る)」。
平和のためには、人々が本当に大切なこと、つまり、真理を見なければならない。
そのためには、耐え難きを耐え、忍び難きを忍ぶことも必要である。
逃げずに遭えてまな板の上で料理されるのは厳しいことではあるのだけれど、いつかはやっておかないといけない。
神はいかなる重みにも耐えるのだそうだ。









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