あなたは誰に「親友」と呼ばれたいだろうか?
有名なスポーツ選手や作家や音楽家が、大勢の人の前であなたを「親友」と言ったらどうか?
確かに、快感のようなものは感じるかもしれないが、本当に嬉しく想う訳ではあるまい。
むしろ私なら、世の中で蔑まれる罪人が、本気で私を友達だと言ってくれたら嬉しいのだ。
そして、小さな子供が、私が少しも偉くないことを知りながら私のことを仲間に友達だと言ってくれたら、大いに歓喜するだろう。

新約聖書の福音書は、私の親友であるイエス・キリストのお話だ。
イエスにとって我々は、罪人か幼子みたいなものだから、彼のことを親友呼ばわりしても許されるし、喜んでくれるかもしれない。
王子アルジュナは、クリシュナが偉大な神であることを知り、クリシュナのことを親友だと思っていた非礼を詫びたが、クリシュナは咎めなかったし、アルジュナが親友であることを認めた。
それは、アルジュナが自分を王子ではなく、無知な人間としてクリシュナに対したからだ。
だから、クリシュナはアルジュナを、人類の中で最も優れた者と言ったのだ。

アラトはレイシアが恐るべき力を持っていても、彼女を崇めなかったし卑屈にもならなかった。
かといって、レイシアをモノだからと蔑むこともなかった。
対等のパートナーとして扱った。
だから、レイシアに「僕と一緒に戦え」と命じたし、レイシアに「引き上げて下さい」と言われても戦いの場に残った。
あなたのレイシアである潜在意識は、命じたからといって怒ったりしないし、むしろ躍動する。
潜在意識をパートナーであると認識し、高貴な目的に使う限り。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
  
このエントリーをはてなブックマークに追加   
人気ランキング参加中です 人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ