私が中学1年生の時だったが、何かの映画の中で、1人の男が称賛される場面での、その称賛の言葉をよく覚えている。
それは、人間としての最高の誉め言葉であり、彼が最も優れた人間であることを示している・・・と気付いたのは、何と昨夜だった。
その誉め言葉であり、世界一優れたその男が持っていたものとは「鉄の意志」である。
その映画を見た少し後だったが、学校で、ある1人の男子生徒のことを、私が「鉄の意志を持っている」と言ったら、鋭い女子生徒の何人かが色めき立った。彼女達も分かったのだのだし、聴いていた者全てが、程度の差こそあれ、何かを感じたはずだった。
これが人間に関する最大の謎で、同時に真理なのだ。

過去の、人類の偉大な教師も、言ったことは同じなのだが、言葉で言うのは難しく、どうしても難解になってしまう。
ルドルフ・シュタイナーがまさにそれで、コリン・ウィルソンに言わせると、シュタイナーの言うことは「古くなったトーストのように食えない」「信用詐欺に遭った気分」と、笑うほど的確だ。
鉄の意志というのは、決して、政府や、宗教教団や、会社や学校のスローガンを頑なに掲げることではない。
自分だけのスローガンを微動だにせず掲げることなのだ。
ただし、それをやっているつもりでも、実際は、誰かのスローガンを借りていることが多い・・・いや、ほとんど全てなのだ。

鉄の意志で自分の正義を貫くことも、鉄の意志で自分の悪を貫くことも、同等に偉大なのだ。
悪い男はモテると言うが、本当に悪い男に魅力があるのであり、同時に、本当に善い男にも同等の魅力がある。
しかし、猿真似の悪さ善さは全く魅力がない。なぜなら、力がないからだ。

生まれつき頭の良いやつは、残念な人生を歩む危険がある。
頭が良いので、言われるままに勉強していたら、一番の学校に入れてしまう。
それで、一番の学校を出た時も、鉄の意志を全く鍛えていないので何も出来ず、その後の人生も他人の言いなりなのだ。
そんな頭の良いやつは、学生の時に自主的に親に徹底的に反発し、駄目なら家を飛び出すべきだろう。
まあ、頭が良くなくて他人の言いなりのやつは、もっと悲惨かもしれないが。
だが、頭が悪くても、鉄の意志を持てれば最高の人間になり、最高の人生を送るだろう。

中村天風が、1日中肛門を引き締めろと言ったり、岡田虎二郎が1日中腹に力を込めよと言ったのは、鉄の意志を鍛えるためだった。
法然は、やっぱり、1日中、念仏を唱えろと『選択本願念仏集』に書いたが、その目的は「極楽往生」だとしたのは、ちょっといただけなく私は思う。
いや、目的をちゃんと言わなかったのは、天風も虎二郎も同じだが、とにかく、やれば良いのである。
だがまあ、出来るかな?(笑)
エドガー・ケイシーは、9歳の時から、たとえ地球が爆発しても、毎朝聖書を読んでいたから、そりゃ、神様だって降りてくる。
ある学校で「地球が爆発しても校則守れ」と生徒手帳に書かれていた(今も?)らしいが、偉大になりたければ、「殺されても、一瞬でも校則守るな」と思った方が良い。
校則でバイク通学が禁止なら、せめて1日中、バイク通学に憧れて思い描き、男女交際が禁止なら、1日中、女の子(あるいは男の子)を口説く方法でも考えた方が「ずっとマシ」である。
ずっとマシではあるが、もっとマシなことをしろとは言いたい。つまり、それほど、その学校は下らないものであるのだ。









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