運命を切り開いていくには、修行が有効だ。
修行とは、1年365日、1日も欠かさずやるものである。
そう言うと、「私はこれをやります」「こんなことをやっています」と言う人がいるが、その内容が、あまりに軽いことに呆れることがある。
なにごとも、払った分しか得られない。
あまりに厳しい修行では、普通の人は続かないが、それは、普通の人は凄い業績を上げないことを示しているに過ぎない。
大きなことをやろうと思うなら、修行も厳しくて当たり前である。
小さな成果で満足するなら、修行もそこそこで良いが、その場合は、得られたものに対し、少な過ぎると不満を持ってはならない。対価通りに与えられただけであるのだから。

修行は、厳し過ぎてもいけないが、ぎりぎりでも、自分には出来そうにないと思う程度のものが良い。
自分に出来そうもない修業を続けることが出来れば、自分には得られそうにないものが得られるのだからだ。
日々の糧を得るだけで良いなら、モーセの十戒くらいのことを守れば良いが、人に抜きん出るためには、他人には出来ない修行をしなければならない。

ところで、修行とは、誰に言われなくても、自主的にやる、善いこと、高貴なこと、鍛錬である。
(修行を他人に決めてもらいたがる者がオウムに入る)
そういったことをやるためには、意思の力が必要になる。
そして、運命を動かすのは、人間の意志なのである。
毎日、力仕事をすれば力が強くなるし、毎日、計算をすれな計算力が強くなる。
それと同じように、毎日、意志の力を使って修行すれば、意思の力が強くなる。
それであれば、大きな意思の力を必要とする修行であるほど、運命を大きく動かせるのは、当たり前なのである。

私が朝晩やっている身体トレーニングは、普通の人ではなかなか出来ないものだが、さりとて、偉大というほどでもない。
だから、私は、並の人間を超えてはいるが、偉大ではない。
だが、これからは偉大になろうと思う。
そんな仲間がいればと思う。









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