「僕って何?」「人生って何?」「愛って何?」などと言うことがある・・・のか?
それを自分が決めるのが人間だ。
「君はどう生きるか?」などと言われたら、「ほっとけ、そんなこと俺が決める。お前には関係ない」と言え。

自分の意味、人生の意味、愛の意味、生きる意味・・・それは、自分にしか決められない。
義務かどうかは知らないが、決める権利を持っている。
権利を持っているから責任がある。
私でしかない私が全てに意味を与える。
それが人間なのだ。

中でも一番大切なものが、自分が与えた自分の意味だ。
「私は部長だ」でも別に構わないよ。
それは、会社がなければ成り立たない意味だから、会社に依存するしかなくなり、会社に逆らえなくなり、主体性を持つことなど出来ない。
自分の理想の意味なんて、所詮、子供の時に憧れたヒーローやお姫様だ。
そして、ヒーローであること、プリンセスであることの意味を明確にし、自分がそうであることの責任を受け入れれば、その通りになる。
ヒーローは、いざという時には活躍しないといけないし、お姫様は陰口など言わず、いつも凛としているものだ。

人間の何億倍、何兆倍優秀なAIが出来たところで、おかしなことに、そのAIは意味を決めることが出来ない。
そんなAIだって、意味は人間に求めるしかない。
それだけ重い権利や責任を放棄してはならない。

ただ、無理に意味を与える必要もない。
「モナ・リザ」が価値ある芸術か、肥満したオバさんの絵でしかないか、決め付ける必要はない。
そもそも、大抵の人にとって、「モナ・リザ」に意味なんてない。
「モナ・リザは良いと思いますか?」と聞かれたって「知らん」と言えば良い。実際、そうなんだから。
とはいえ、「モナ・リザ」に最大の価値を与える人に難癖つけるのは最低だ。
なぜなら、そんなこと、自分に関係ないからだ。

全てのものは、あなたに意味をつけてもらいたがっている。
あなたが意味をつけてくれるのを待ち、どんな意味をつけるかを固唾を飲んで見守っている。
「モナ・リザ」だって、本当はそうなのだが、いつ、意味をつけるかは任せられているのである。
自分にとって意味のない時期だってあるってことだ。









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