カドカワの社長で、傘下のIT大手ドワンゴの創業者・前会長(少し前に辞任)の川上量生氏が、以前、インタビューで、人間は今後、人間よりAIと仲良くなると言われていたことがあったと思う。理由は簡単で、AIの方が人間より性格が良いからだ。
20世紀末の漫画・アニメ『ちょびっツ』で、16歳の可愛くて性格も抜群に良い女子高生の裕美(ゆみ)は、ケーキ屋の店長の弘康(ひろやす。39歳)に好意を寄せるが、弘康の以前の妻は人型パソコン(アンドロイド)で、その妻はずっと前に壊れてしまっていなくなっていた。しかし、裕美が弘康に積極的になれないのは、年齢差・・・のことは全く問題でなかったが、裕美は、自分がアンドロイドの女性に比べ、特に内面(性格等)で極めて劣ることを自覚していたからだった。
つまり、アンドロイドの女性は、素直で可愛いのに、自分の心の中はドロドロだ・・・と、若いのに、そんな認識があるのは素晴らしいが、なるほど、現代のIT大手創業者の意見とも一致するわけだ。
ちなみに、裕美は弘康と、ちゃんと結ばれる(今なら犯罪だが)。

いや、そもそも、AIに性格なんてものはない。
現在、アニメが放送中のSF小説『BEATLESS』で、ヒロインの超高級アンドロイドのレイシアは、「hIE(アンドロイドのこと)は、人間にとって心地良いと感じる反応を返すだけ」と言い、それによって、人間が感情的に操作されてしまうことを、作中で「アナログ・ハック」と呼ぶ。

ところで、SFの面白さというのは、現代にないテクノロジを手にした人間が、どう振舞うかを、SF作家達が高度に想像するところにある。
そんなテクノロジを手にする未来の人間は、中身は現代人と変わらないところがポイントだ。
つまり、今の我々、あるいは、自分自身が、そんなテクノロジを持ったら、どう使う、何に使うかと考えさせるところが、SFの面白さの1つだ。
ところが、欧米のSFに比べ、日本のSFが、どこか厚みがないというか、子供っぽかった理由がある。
日本ではちょんまげで刀を差していた時代から、欧米は契約社会で、大きな力を持った者には法的責任があることを理解していた。
ところが、日本は、いまだにその意識が薄いのだから、SFの中でも、子供がとんでもない力があるロボットや戦闘機を、制約をかけられずに平気で使っていたりする。
それで、『ウルトラマン』で、星野君という少年が、科学特捜隊という、トップレベルの軍事力を持つ組織に平気で出入りし、挙句、強力な光線銃を持ち出すなどを、いくら子供向け番組でも、平気でやってみせるところは、やはり、日本人には「責任」という観念が弱いのだろうと感じさせる。
そこにいくと、『BEATLESS』という作品は、日本人の目を覚まさせてくれるかもしれない。
レイシアは、こんなことを言う。
「オーナーは、私を何に使いますか?」
「オーナーに求めることはただ1つ。道具である私に責任はとれませんから、オーナーが責任を取って下さい」
「私の行動は全て履歴が取られ、訴訟の際には裁判所に提出されます」

ところで、私には、レイシアは潜在意識の象徴であると思える。
潜在意識の力は、レイシアのように超強大で、我々の指令を自動化する。
レイシア、あるいは、潜在意識を何に使うか、決断するのはオーナーである我々だし、結果に対して責任を取るのも我々だ。
美しきレイシアが潜在意識の法則を教えてくれるのだから、『BEATLESS』は現代人のバイブルだ・・・というのは、全くの私の独断であるが・・・
ところで、初音ミクさんは歌うことしか出来ないが、人々の心をつなぐ。
それは、レイシアの力より凄いことかもしれない。

私は、『BEATLESS』は、アニメ6回分のことしか知らないが(小説も、そこまで読んだ)、その先の展開は見えてしまった。
もちろん、予想だが、多分、合っている。
予想に過ぎないものにネタバレもないものだが、全ての流れには、レイシアを作ったAIが関与しているのだろう。まあ、それは割と平凡な発想だが、問題は、そのAIが平凡な発想を超えていることだ。
関英男博士は、神をコンピューターに喩えたことがあったが、それは、必ずしも不遜とは言えないほどの性能を想定していた。
実際、AIが人間を超え、そのAIが自分より優れたAIを作ることを繰り返せば、いずれ、AIは人間にとって神のごときものになる。
それが、AIなりの、神に帰るプロセスなのかもしれない。









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