昔の貧しい子供の仕事の定番は、靴磨きだったようなイメージがある。
漫画やマスコミが作ったイメージかもしれないけどね。
日本では、路上でボロを着た子供が、靴を磨く道具と、靴を乗せる台を道端に置いて、革靴を履いた人に声をかけ、アメリカでは、レストランで客が座ると、その足元に寄って行って靴を磨いてチップをもらう・・・そんな感じだ。
ところが、こんな靴磨きでも能力の差が現れ、かなり稼ぐ子と、さっぱりな子がいて、その中間は割と少ないと思う。
これも、本当かどうかは分からないが、昔、離婚した母親が、一家を養うために保険セールスの仕事を始めるが、そんな仕事はとても辛い上に、契約はさっぱり取れず、保険会社のマネージャーにいじめられ、ものすごく惨めになるという話が頭の中にあるのは、私が変な漫画やドラマを見過ぎたという訳でもないと思う。
そして、靴磨きや保険などのセールスというのは、「人間の生の力」が現れ、それで上手くやれる人は、人生を楽しくやっていける。
逆に、そんな仕事がさっぱりうまくいかず、稼げない人の人生は、かなり暗い。
これらの仕事でうまくいくには、単純に、「好かれる人」でないといけない。
そして、「好かれる人」であれば、大抵の仕事はうまくいく。
サラリーマンは、あまり人に好かれなくても務まり、長くやっていれば、それなりに給料も上がり、中には、課長、部長と出世する人もいるが、いざリストラされると、再就職がさっぱり出来ず、ホームレスにまで落ちてしまうのは、やっぱり、人に好かれない人間だからだと思う。
ホームレスになってから、必要にかられて人に好かれるように努力し、最低限の社会復帰をする者もいる。

人に好かれる能力は、人間的魅力とも言えるが、俳優や重要な交渉の仕事で必要になる高度なものでなくても、最低限はないと危ないものだ。
いくら頭が良くても、技術があっても、人に好かれないと、よほど稀有で有用な能力でも持っていない限り(あるいは持っていてすら)、無用者になってしまう。
強い者にだけへつらう卑しい人間もいるが、それでうまくやれるなら立派な能力である。それすら出来ない者より、はるかに優れている。

上に書いたことは、人に好かれるという能力についてさっぱりな私が実感することだ。
自分の子供の人生を惨めにしたくなければ、学歴や語学といったエリート教育も良いが、とにかく、人に好かれる人間に育てなければならない。
高校や大学で、あまりお金をかけずに留学していたという人は、しっかりしていると同時に、人に好かれる能力が実に高い。そうでないとやっていけないので、自然に身についたのだろうが、その能力こそ一生の財産と思う。

人に好かれるには、まず、自分が人を好きでないといけない。
なるほど、私はそれがさっぱりだ。
人を好きになるためには、自分のことが好きでないといけない。
すると、私は自分が嫌いなのかというと、多分そうだ。あまり自覚はないが。
自分が嫌いな人は、かえって自己中心主義になるのだろう。だから人に好かれないのだろうね。
人が好きな人は、他人の欠点を許せるというか、他人の欠点を、ある程度美点と見ることが出来るのだが、そのためには、自分の欠点も自覚している必要がある。
それには単に、自分を客観視出来れば良い。間違いなく、自分にも欠点は沢山あるのだからだ。

五寸釘を打ち込みたい藁人形が沢山あるという人の人生は、本当に暗く惨めだ。
そんな子供に育ててはいけない。
しかし、五寸釘を打ち込みたい相手が沢山いる親や教師が多いのだから悲惨だ。

しかしねえ、人嫌い、自分嫌いってのは、そう簡単に治せるものではない。
半分本気で言う。正気とは言わないがね(笑)。
そういったことで「ヤバい」と思ったら、超能力を磨くことだ。
他に手はない・・・笑・・・いやもう、本当に笑うしかない。
まるで呼吸をしていないかのように、微かな呼吸をすることだ。
それをずっと続けることが出来れば・・・まあ、何かが起こる。
心から思う。がんばって欲しい。








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