なかなか願いが叶わず、明るい兆しも見えずに、あせりや苛立ちが募ることもある。
努力しているのに報われず、がんばっているのに成果が出ず、不遇な状況や不本意な立場に甘んじている人も多いだろう。
だが、生きている限り、失敗はしていない。
諦めない限りは。
20代も前半で大成功する人もあれば、そんな人を羨みながら、ひょっとしたら、かなりの年齢まで・・・それこそ、50歳とか60歳まで、あるいは、それ以上辛い人生が続くかもしれないが、そこから逆転することだってあるし、その方が人生の満足度は高くなる。
希望を捨てず、自分を信じることだ。
そして、自分とは信じるに値するものだ。
観世音菩薩として象徴される清らかな精神は、間違いなくあなたを信じている。
これは、人間の知性で捉えることが出来ないので、こんなふうに宗教的に言うしかなくなるが、そのような高貴な精神が自分の中にあることが分かれば、即座に状況は変わる。
だが、神や仏にすがるだけでは駄目である。
人間は、自分の意志を使うことで、人生を支配するように出来ているのだと思う。
今の辛い状況、惨めな環境は、ごく若い間なら宿命なのかもしれないが、ある程度の年齢になれば、全て自分の責任だ。
自分の意志を使わなかった責任である。
自分の意志を使えば、ビル・ゲイツにはなかかなれなくても、まず人に負けることはない。
見も知らぬ人や、自分より弱い人に親切にするって良いことでね。
なぜなら、それは自分の意志を使わないと出来ないことだからだ。
つまり、下心なく親切にするってうのは、自分の意志を使うってことで、それが自然に、成功のための訓練にもなる。
嫌な相手に頭を下げ、自分が優れていてもあえて謙虚になり、放埓(勝手気まま)に振舞いたい気持ちを抑え、あえて自分に制約をかけるのは、意思の力だ。
自分の意志を自由自在に使えるようになれば、もはや何でも出来る。
『法華経』の第25章の『観音経』は、おそらく、そんなことを比喩的に描いているのだが、真意が分かれば、もう書いてあるそのままなのである。
流されるままなのが、自分の意志を使わない普通の人だ。
だが、あえて、少し斜めに泳いだり、時には、流れに逆らって泳ぐのは、自分の意志があってこそである。
毎日、スクワットを100回すると決めたら、少々疲れていても、気分が落ち込んでいてもやるのが自分の意志で、それが続かないのは、自分の意志がないからだ。
「断固やる」というのが自分の意志である。
そして、面白いことに、「断固やる」と思うのも自分の意志である。意思を使えない者は、そんなこと思わないものだからね。
「断固やる」を覚えていれば、状況はたちまち変わるはずである。
さて、私は「断固やる」と決めた。









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