笹沢左保さんの時代劇小説『木枯し紋次郎』で、ヒーローの紋次郎は、じっとしていても隠しようのない貫禄があって、力のある人間ほど、それをはっきり感じることが出来るのだと思う。
また、つまらない人間であっても、魂では、紋次郎の常人とは違う何かを感じるのだろう。
そんな人間は現実にもいるのだろうなあと思う。
そして、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』ではないが、「ソウイウモノニ、ワタシハナリタイ」と思う。
では、どうすればそうなれるかというと、やはり日々の修行だろう。
決して弛まず、自己を厳しく律することを長年続けることで、そうなれるのだと思う。
紋次郎は、別に目的がある旅ではないが、毎朝、おそらくは午前4時には起き、支度を整えると、すぐに旅に出発し、1日中、風のように速く、そして、黙々と歩く。
宿に泊まることはなく、農家の物置を借りたり、山寺に宿泊し、野宿をすることも多い。
そんな厳しい生活を送りながら、愚痴の1つも言わず、ため息など決してつかず、引き締まった顔で淡々と過ごす。

まあ、なかなかそんなことは出来ないが、新渡戸稲造が、こんな話をしている(『武士道』に載っているのかもしれないが、読んだことがないので知らない)。
江戸時代、ある立派な武士が、街中で1人の町人に目を留める。
一見、普通の町人であるが、その目付き、立ち居振る舞いから、彼は只者ではないと感じ、武士は近寄って、「お前は何者?」と尋ねるが、町人は、「ただの町人でございます」と言う。
「そんなことはあるまい。わしはこれでも、人を見る目はある」と武士が詰め寄ると、町人は、「もし、他の者と違うところがあるとしたら・・・」と、こんな話をする。
自分は子供の時からひどく臆病で、それを治したいと思って、毎日、夕刻になると墓場に行くことにしているが、それを毎日欠かさず続けていると。
武士も、それで納得したのではないかと思う。
自分に課した修行を、毎日、必ずやるということを長年続ければ、魂に感応する不思議な雰囲気を持ち、それは、実際の力を示している。

その修行は、怠惰な甘い自分に打ち勝つようなものであれば良い。
新渡戸稲造は、毎朝、必ず水ごりをすると決めたそうで、風邪で高熱がある日も決して止めず、医者に怒られたというが、それは確かにやり過ぎとしても、そのくらいの気概があれば良い。
私は、朝晩のトレーニングを5年、夜だけなら7年は、毎日欠かさず続けているが、少しは貫禄や雰囲気が出てきただろうか・・・などとつまらぬことを考えている。
トレーニングに関しては、「プリズナートレーニング」の思想に大いに共感しているが、私は、あのような筋力至上主義者ではない。
蹲踞で足の親指を鍛え、腕振り運動で仙骨の調整をしつつ、ヒンズースクワットやプッシュアップ(腕立て伏せ)を愛好し、武術の鍛錬を熱心にやっている。
また、「プリズナートレーニング」では全く触れていない、鼻で静かに呼吸することを全面的に取り入れている。
最近、トレーニングが楽しみでならなくなったのは、トレーニング法や武術が完成に近付き、実際に強くなっているからだろう。
気のせいかもしれないが、最近、可愛い少女と不意に目が合っても、悪い反応を見た覚えが全くなく、むしろ、好ましい様子さえ感じるようになった。
まあ、気のせいか・・・
ただ、精神的には、大きく欠けるところがあることは明白だ。
これは、社会的修行がまだ足りないということか。
Mitchie Mさんの手による、初音ミクさんの隠れた名曲『Believe』を聴いて、もっと頑張ろう。
私はやる気が出るのである。この曲で。








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