一流大学や、一流の学校に入るメリットは何だろう?
ビル・ゲイツは、ハーバード大に入った大きなメリットがあったと思う。
ゲイツは数学者になりたかったらしい。それで、ハーバード入学後、数学科に行ったのだが、そこで、自分など足元にも及ばない天才がゴロゴロいるのを見て、すぐに数学の道を断念した…ということだったと思う。
ゲイツは、そのことで自信も挫かれたが、謙虚になれたのではないかと思うのだ。

アメリカの国務長官を務めたコンドリーザ・ライスは、幼い時から何でも一番だったが、大学生の時、ピアニストを目指してたことがあったようだ。
ところが、そのピアノで、自分なら1年かかるようなことを1時間でやってしまえる11歳の天才少年に会ってしまい、ピアニストを断念した。
自分では世界一になれない…というより、そんな天才は他にもいるだろうから、ピアノの世界は元々、自分が進むべきところではないと分かったのではないかと思う。
そして、やはり、ライスも謙虚になったのだと思う。

SF作家の平井和正さんは、元々は漫画家を目指していたが、石森章太郎(石ノ森章太郎)に会って、「こんな天才に敵うはずがない」と痛感し、やはり、漫画家になることを断念している。

上に挙げた人達は、自分より優れた存在に気付く感覚を持っていたことと、自分の本当の場所を見つけたいという願望と意欲を持っていたところが素晴らしい。
一流大学には、なんだかんだ言って優秀な人が多いだろうから、そこで、自分が太刀打ち出来ないような優れた人を見つけ、謙虚になれれば、苦労してその大学に入った甲斐があったと言えるのだと思う。しかし、自分より優れた人間を認めず、自分が一番だと思う馬鹿が少なくはなく、そんな者が一流の学校を出た(あるいは入った)というプライドなんか持ってしまったら、非常に困った人になってしまう恐れが大きい。私は昨日、そんな人に会ってしまったのだが・・・。

私が事務社員をしていた若い頃、その会社の中に、私にプログラミングの勉強を勧めてくれた40代の技術課長がいた。私にとって大恩人である。
彼は、中学は普通の公立に通っていたが、あまりに勉強が出来るので、中学から入る者が多い一流の進学校に高校から入学したらしい。
すると、それまでは成績はずっと一番だったのに、真ん中より下の方になってしまったと言う。
それで、彼は、自分が出た大学の名を上げ、「そこにしか行けなかった」と言ったが、その大学は、私が入ったのと同じ大学だった(笑)。
彼は、優秀な、一目置かれる技術者だが、とても謙虚だった。それは、高校に入って自信を挫かれたことが、良い結果になったのだと思う。

一流大学に進むことに限らないが、優秀な人間がいる場所に行くことには、上で述べたようなメリットがある。
しかし、
「自分より上がいる」
「自分など大したものではない」
といったことが分かるだけの感覚は、やはり親の教育の部分が大きいのではないかと思う。
そして、それを持っていない人が多いと思えるのだ。
残念なことに、私も持っていなかった。
シャッポを脱ぐ(兜を脱ぐ。降参するとうこと。シャッポは帽子のこと)ことが出来る者は、本当は優れている。
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