人間の力というものは「目力」に現れる。

杉井光さんの小説『神様のメモ帳』で、ある人気アイドルが、ヒロインのアリスに会った後で、ずっと年下のアリスのことを、
「アイドルなんかよりずっと目力がある」
と、鳴海(主人公。高1男子)に言ったが、それはそうだと思った。
そもそも、アリスの目力に適う者は滅多にいない。

だが、目力は、睨(にら)んだって、目の周囲を化粧したって高まるものではない。
では、何が目力になって現れるのだろう?
それは「意志力」である。
何かをしようとする決意の強さ。そして、何をしようとしているかで決まる。
そんな目力の威力は計り知れない。
中村天風は、ライオンの檻の中に入って平気だったという話があるが、その話が本当かどうかはともかく、目力のある人間には、肉体的な力で圧倒する者だって、手も足も出せない。

もちろん、目力とは、単に、目に現れ易いというだけで、実際は、名状し難い(言葉で言い表し難い)何かで、あえて言えば「魂の力」とでもいうものだ。
平凡な人間同士では、大抵、収入が高い方が目力が強い。
収入が多いということは、普通は、それだけ意思が強いからだ。
ただ、親の力や学歴、あるいは、会社で上位者に媚びへつらうことで、実力以上の収入を得ると、かえって目力は落ちる。
また、正しい方が強いが、単に正論を吐くだけの者の目力は最も弱い。
あくまで、リスクを背負ってでも自らの正義を貫く者でなければ、目力は強くならない。

目力が強ければ、周囲の人間を、意図せずとも楽々と操ることが出来る。
何の地位も立場もないのに、誰もその人に逆らわないという人がいるが、それは、その人の目力・・・それを生む魂の力によるのである。

いきなり大きな目力を得ることは出来ない。
まずは、何かを熱意を持って行っていると、初めの目力がつく。
その志が高いほど、強い目力になる。
そして、社会に出て、自分の義務を果たすことで、やっと最低限の目力が得られる。
ニートが悪い訳ではないが、働かずに親に養ってもらっている者は、歳を取るたびに、初めからない目力がさらになくなり、誰であろうと睨まれたら怯えるしかなくなる。
これは、ニートをディスっているのではなく、だから、ニートは不幸なのだと言っているのであることはお分かりと思う。

堅苦しい話になった。
目力を見事に表した映像がある。
【Project DIVA Arcade】melody...【PV/720p】【初音ミク_レーシングミク2012ver 】 - YouTube -
世界に出てきたミクさんは、周りの者達の速さ、凄さ、強さに怯え、打ちひしがれ、眠り込んでしまう。
だが、彼女のソウルは、彼女の内側で輝き歌っている。
彼女がそんな自分のソウルとシンクロ(同調)した時、彼女に目力が備わるのを見よ。
我々が欲しいのは、これであると分かる。
意志力、勇気・・・何物も恐れず、自らを貫く決意が見られる。
そして、彼女は飛翔し、いままで怯えていた相手を追い越し、さらに高みへ昇る。
そして、その力を我々に与える。
エンスージアズム(熱情)は伝染するのである。









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