以下は、あくまで、坐禅やヨガ等の専門の修行者でない場合について述べたことである。

坐禅(座禅)が良いと聞くが、効果を実感した人は少ないと思う。
実際は、坐禅には細かい注意があり、専門家の指導を受けないといけないとも聞くが、専門家でも、やり方はかなり違うと思うし、優れた専門家の指導を少しくらい受けても、あまり良いことはないかもしれない。
そこで、明治・大正時代の教育家、岡田虎二郎は、日本人に馴染みの深い正座で瞑想を行う、岡田式静坐法を考案し、一時期、かなり普及し、現在も行っている人がいると思う。
正座自体は優れたところがあり、昔の日本人は、長時間正座することで腹筋や背筋が鍛えられ、特に運動をしなくても強い身体を持っていたらしい。
とはいえ、正座が脚を圧迫し、血行を悪くすることは否定出来ないと思うし、子供の時から慣れていないとうまく出来ないので、現代人にははっきり言って無理である。
また、岡田式静坐法も、結局のところ、坐禅に負けず劣らず難しいルールがある。
インドのヨガの結跏趺坐や半跏趺坐といったマニアックな座り方は、ある意味、気分が盛り上がる場合もあると思うが、少なくとも、西洋人や今の日本人には無理がある。

そして、上記に挙げたものは、全て、かなり長時間続ける必要がある。
岡田式静坐法は比較的短いが、それでも30分も座るらしい。
ただ、岡田虎二郎は、「静坐は1日中やらないといけない」とし、それは、腹に力を入れることであると言った。
腹に力を入れること自体は出来るが、それを1日中やることは、全く現実的ではない。
中村天風は、ヨガの流儀に従い、1日中、肛門を引き締めよなどと言ったが、そんなことが出来るはずがないし、彼だって、出来るのに5年かかったと言う。
気功の先生の中には、「1日トータル1時間肛門を締めよ」などと妥協案を出しているが、それもやっぱり無理だし、やったとして、何か良いことがあるかどうか疑わしい。

ところが、相撲や剣道に伝わる蹲踞(そんきょ)であれば、たとえ1日1回、数十秒でも効果がある。
こんな良いものが、なぜ、相撲や剣道以外、ほとんど行われていないのか、また、相撲や剣道をやっている人達すら、それほど重要視されていないのかと、私は不思議に思うようになった。
ただ、蹲踞は、元々、古武道のもので、それが、相撲や剣道といった純粋な日本の武道に受け継がれたのであり、その過程で、意味が忘れられ、形式化、儀礼化したのだと思う。
蹲踞は、かかとを浮かしてしゃがむが、体重の多くを、足の親指の下あたりで支える。
靴を履く現代人は、足の指をほとんど使わないが、足の親指は重要なパワースポットで、ここに力を入れることで全身にエネルギーが満ちる。
また、蹲踞でバランスを取ることで、神経や体幹(胴体の縦の中心)が鍛えられ、これは、あらゆる意味で優れた効果をもたらす。
本にそう書いてあったというのではなく、坐禅も静坐も、あるいは、ヨガ座り、その他も散々試した私が、それらと比較にならない強い効果をすぐに感じた。
そして、調べれば、古武道、古武術で、蹲踞は非常に重視され、その流れを色濃く受け継ぐ流派の合気道や空手、あるいは、歌舞伎や神道の儀式で、足の親指で巧妙に立つことが受け継がれているように感じる。

尚、足の親指と共に、手の小指も高度な力の源である。
左手の人差し指を立てて握り、その人差し指を右手で握り、右手の人差し指を立てる。
これで、両手の小指が締まるが、この絶妙なポーズは修験道で見られると思う。
剣道で、竹刀を持って蹲踞すると、やはり、足の親指と手の小指を共に使って効果抜群であるが、修験道式の手の形はさらに効果がある。
尚、確かに、岡田虎二郎が言うように、行法は多くやるにこしたことはない。
蹲踞の重要な点は、足の親指を使うことである。
よって、立っていても、椅子に座っていても、足の親指に力を入れ、床や地面をつかむつもりでいれば良い。
歩く時も、足の親指で地面をつかみながら歩く意識を持つのである。
腕振り運動の時、足の親指で床をつかむような気持ちでやることを指導する人もいるが、それは正しいことで、腕振り運動の効果を著しく高める。









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