詰まるところ、要するに、結局だ・・・と、同じ言葉を3回繰り返すが、つまり、究極的に(さらに2回)。
成功をもたらすのは、情熱なのだ。
そして、情熱とは、本能的欲望・・・食欲、性欲、生存欲、名誉欲などと関係もあるのだろうが、全く異なるものだ。
なぜなら、情熱が高ければ、人間は本能的欲望を捨てるからだ。
で、問題は、情熱とは何かである。
情熱は、普通、パッションと言うが、エンスージアズムとも言う。
エンスージアズムとは、「霊にとり憑かれること」で、はっきり分かる言葉ではないが、雰囲気的には、本能的なパッションより、こちらの方が本物の情熱に近い。
だが、これではやはり、意味が分からない。
だが、私が最高の音楽家と思ってる梶浦由紀さんが作られた(作詞、作曲、編曲)『幻想楽園』という歌の、あるフレーズをよく覚えているが、それが答をもたらしてくれた。
「憧れだけが明日へ続く扉を開けることを知っているから」
これが真理だろう。
崇敬(崇め敬う)するほどの憧れが情熱の源であり、情熱そのものと言って良いと思う。
崇めることが強くなれば、尊崇とか、究極には畏怖(畏れ敬う)ことになるが、本当の畏怖とは、畏れる中にも憧れが秘められているはずだ。

人間というのは、憧れを持っている限り死なない。
少なくとも、異常な生命力を持つ。
死に掛けていても、憧れを持つと、息を吹き返す(生命力が蘇る)。
ある意味、憧れとは生命でもある。

確かに、アイドルに憧れるのも憧れには違いないが、これは、名誉欲や性欲による低い憧れに近いことが多い。
だが、本物の憧れは、上にも述べた通り、命を捨てることが出来る。
梶原一騎さん原作の漫画『愛と誠』で、中学生の岩清水弘という秀才が、ヒロインの愛(同級生)に手紙で(当時は電子メールやSNSはなかった)、「君のためなら死ねる」と伝えた言葉が、まさに本物の情熱だ。
梶原一騎さんという人は、おそらく本当に、人間的な問題ありありの人だったのだろうが、情熱は持っていた。だから天才作家だったのだ。
だが、彼が何に情熱を持っていたのかは、本当のところは分からない。
ひょっとしたら、かなり意外なことかもしれない。

ともなくだ。
「情熱を持て」なんて、曖昧で抽象的なことを言ってはならない。
「憧れを持て」である。
衣食住が足りなくても持てる、さらに、命と引き換えに出来る憧れである。
それがあれば、言っては悪いが、梶原一騎さんのような最低男でも偉人になるのである(偉人と認めているのだから許して欲しい)。
究極の成功法則とは、絶対にこれであろう。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加