憧れている人物を真似れば、そのような人物に近付けるという話がある。
それは本当だが、多くの人は勘違いする。
まるで、物真似芸人のように、その人物の真似をしても、何にもならない。
それで本物になれるなら、一流の物真似芸人は、彼らが真似しているスポーツ選手や歌手のような大スポーツ選手、大歌手になるはずだが、そんなことはあり得ない。
普通の人なら、いくら大人物の真似が上手くなっても、せいぜいが、宴会やかくし芸大会の人気者になれれば合格だろう。

しかし、何か困難な問題にぶつかった時、「あの人ならどうするだろうか?」と考えることには意味があるかもしれない。
ただし、もちろん、そのためには、あの人(憧れる大人物)のことを、ある程度理解していることが必要だ。
しかし、別に、その大人物が書いた本を読んだり、鞄持ちをして四六時中接していなくても、人間の感覚というのは大したもので、澄んだ心で、その人物の雰囲気を感じていれば、かなり、その人物のことを、心の奥では理解出来るものなのである。
また、遠い過去の人で、映像すら見ることが出来ず、声の録音がない場合でも、その人が書いたものや、インタビュー記事があれば、直感的にその人のことが分かる。心静かに見ればね。
釈迦のことが知りたければ『スッタニパータ』を読めば、イエスのことが知りたければ『新約聖書』の福音書を読めば、彼らのことがかなり分かるだろう。
それらの書物は真実を伝えていないという話もあるが、そう思うのであれば、初めから、釈迦やイエスへの憧れは出てこないだろう。
そして、これらの書物は、完全ではないにしろ、十分に、釈迦やイエスの真実を伝えている。
ラルフ・ウォルドー・エマーソンは、「英雄の話を読む時は、自分のことが書かれていると思え」と、目の醒めるような教えを残している。
『スッタニパータ』や『新約聖書・福音書』を読む時、それは、自分のことを書いていると認識しなければならない。
ただし、呼吸を微かにして読むなら。
呼吸が微かであれば、おかしな妄想を起こすことはない。
無論、他の大人物について書かれたものを読む時も同じである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加