人間はいろんな願いを持っているし、不道徳なことでなければ、どんな大きな願いを持つのも自由だ。
だが、ほとんどの人に言えることは、その願いを叶えるには、あまりに甘いということである。
つまり、願いを叶えるには対価が必要だが、支払おうとする対価があまりに安いのである。
一千万円の高級車が欲しいのに1万円しか支払う気がない・・・そんな者がやたら多いのである。

プログラマーになりたいと言う人は沢山見たが、その人達は、そのために、初級シスアドやMOUSEの資格を取るとか、プログラム言語の本を読んで勉強するとか言っていたが、それ自体は別に悪くはないが、肝心なのはその後なのに、それを何も考えていないのだから驚く。
悟りを開きたいとか、仙人になりたいという人も少なくなかったが、そのためにやると言うのが、毎日瞑想を10分するとか、般若心経を毎日10回唱えるとか、いやはや、舐めとんのか・・・と言いたくもなる。
社長になるために、社長室にいる自分をイメージする・・・それだけって、あまり言いたくはないが、地獄少女に、「いっぺん、死んでみる?」と言ってもらえばと思う。まあ、馬鹿は死んでも治らないのかもしれないが。
可愛いあの子を彼女にしたい・・・いや、本音は単にエッチしたいだけなんだろうが、そのこと自体は責めはしないが、そのために竜の玉を取ってくる気があるのかというと、靴のかかとをすり減らす気もなかったりするのだ。そんな人には「死ぬまでマスかいてろ」と言うしかないのだろう。

悟りを開いたり、仙人になるために、別にチベットに行く必要もないが、いっぺん、行ってみた方が良いと思う。
そうしたら、その程度では全然足りないと分かるからだ。
その上で、「途方もない対価が必要であると、少しは分かった。だが、その対価は必ず払う」と決意すれば、願いは叶う。

ある意味、悟りを開いたり、マスター(大師)や仙人になるために、修行をする必要はない。
だが、修行するのが近道とは言える。
懸命に修行すれば、その道はあまりに困難で、誰にもやり遂げることが出来ないと分かるからだ。
つまり、その対価の大きさが、やはり、少しは分かるのである。
そして、自分には想像も出来ないような対価を払う心構えが出来れば、修行する必要はない。

社長になりたければ、早速、やれる範囲で社長になってみれば良い。
すると、ままごと遊びのごとき社長でも大変なのだと分かる。
まして、妄想で描いていた素晴らしい社長となると、雲の上の存在だと、やっと認識する。
だが、何を犠牲にしても雲の上に行く決意を固めれば、望むような社長になれるだろう。

ビル・ゲイツがマイクロソフトのCEOを辞任する時、「私は17歳の時から、週7日フルタイムで働いてきた。新しい仕事でもそうする」と言った。
ビートルズの歌に、"Eight Days A Week"というのがあり、「週8日、君を愛する」と歌う。
そんな心構えだから、彼らは途方もなく成功した。
必要な対価、それは、心構えである。
心構えだけなのだが、それを得るのは、なかなか大変である。








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