「成功体験を積むことが大切だ」とよく言われる。
その通りだが、では、成功体験とは何だろう?
それは、自分に出来るとは思えなかったことが出来るようになることで、それは感動を伴う。

私は、小学4年生の時、10歳年長の従兄が腕立て伏せを40回やるのを見て驚いたことがある。
自分は10回も出来ないし、他の子もそんなものだったからだ。
その驚きを忘れないまま、中学生になって、30回出来た時には、非常に嬉しかったし、高校生になって、いよいよ50回出来た時には感動したのを覚えている。
そして、高校2年生の時だったが、密かに念願していた、腕立て伏せ100回が出来た時は、それ以上に感動したものである。
これも、成功体験なのだと思う。

映画の中で、ジュリアーノ・ジェンマがよくやっていた、ネックスプリング(首跳ね起き)という、仰向けに寝て、膝を曲げて身体を丸ねた体勢から、首を支点に跳ね起きるという動作を見て、「格好良いなあ」と思って、何とか出来るようになりたかった。
しかし、周囲に出来る人がいなかったので、試行錯誤で練習していたが、ついに出来るようになった。
これも成功体験として心に残っている。

あなたにも、自分に出来そうになかったことが出来たという成功体験があると思う。
ところで、これらをやろうとした時、いったい何を考えていたのだろう?
マイク・ハーナッキーの成功の秘訣のように、「実現のために必要なことは全て自主的に行う」決意をしていたはずなのだ。
あるいは、それとは単に言い方が違うだけだが、「出来るまでやる」「断固としてやる」「失敗しても諦めない」と思っていたのだと思う。
そして、自分で出来たことは全て、このようであったから出来たはずなのだ。
逆に言えば、出来なかったことというのは、「実現のために必要なことでもやりたくないのでやらなかった」「無理そうなので諦めた」「そこまでしてやろうとは思わなかった」「失敗して嫌になって止めた」ということなのだと思う。
ひきこもりが、いつまでも働かないのだって、全くその通りだろう。
だが、「断固として働く」という決意を維持する限り、やがて働くようになる。
何事も同じで、もし、それを本当に実現したいのであれば、「断固として、出来るまで、失敗しても諦めずにやる」という意思を保てば、必ず成功するだろう。

そして、願いの実現のために、不道徳を犯す必要はないことを知らねばならない。
盗んだり、暴力に訴える必要はないのである。
そのような手段を取ってしまう者というのは、心の中で、自分には、それを得る価値がないと思っているのである。
不正な手段で得たものは、刹那的な快楽はあるが、感動がない。

マイク・ハーナッキーの成功の秘訣は、住友進さんの訳では、
「何かを成し遂げようとするには、必要なことはすべて、進んで実行する自発的な態度が必要である」
だが、これが、正義に反することなく出来ることを覚えておくと、力を制限するどころか、より強い力となり、より速く、よりスムーズに願いが実現するはずだ。
真の成功とは、すぐに消えてしまう刹那的な快楽ではなく、永遠に忘れない感動なのである。









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