これが究極なので何度も言うが、願いを叶えるためには、必要なことは全て自発的に行う決意を持てば必ず叶う。
つまり、断固やるという不退転の決意である。
しかし、宝くじを当てるとか、可愛いあの子とエッチするというような目的しか出てこない者は、もう見たくない。
同じく、身の程知らずの妄想でしかない願いばかり持つ者もだ。
基本的なことも出来ないのに、社長になるだの、尊敬される地位につくだのといった妄想を持つのは、単に幼稚なのだ。
レベルの低い者はまず、自分の力で食べていけるようになることを望むことだ。
だから、かつての私のように、ニートでひきこもっているような者は、まずは、定職につき、毎月確実に給料をもらえるようになるために必要なことは全てすると決意すること、それを断固としてやるという意思を固めなければならない。

学校や会社が面白くない場合はどうすれば良いだろう。
その場合は、どんな状況であれば楽しくなるのかを、まず考える必要がある。
そして、それが、一目置かれ、誰にも親切にされることだとしよう。
では、後は簡単なことで、そうなるために必要なことは全て自発的に行う決意を持てば良い。
そうすると、まずはこちらが親切にすれば良いのだとか、相手の話をちゃんと聞いてあげれば良いなどといったことに気付くようになり、いつしか学校生活や会社生活は快適になっているだろう。
まあ、昔から、「嫌なあいつが消えればいい」などという呪術めいたものもあるのだが、これはよろしくない。
人を呪わば穴二つで、相手に被害を与えたり、いなくなるようにすることは出来るかもしれないが、それは、そのまま自分に返ってくる。
私も、若い時に、嫌なことばかり言ってきたり、してくるように思えた先輩社員を、指1つ動かした訳ではないが、社内から消したことがあったが、結局、いずれ、自分が追い払われることになったのだ。
やって良いことと悪いことの区別を知るために、道徳や宗教というものは、ある程度は役に立つのである。
ただ、最近は、道理を外れた宗教や道徳の教えも少なくないので面倒なのであるが、自分が邪まであったり欲深でさえなければ、騙されることもないはずだ。

プロのサッカー選手になりたければ、そうなるために必要なことは全て自発的にやるという決意を持ち、断固やるという気持ちになれば良い。
ただ、才能がなければ、遅かれ早かれ決意が鈍る。
ある程度の時期までは、それでも気持ちを奮い立たせて頑張ると良いし、特に若い間は、そんなことが出来る。
しかし、いずれ、自分に才能がないことを思い知ることになるだろう。
その時は諦めることだ。
そこで諦めなければ、変な執着になり、貴重な時間を無駄にする。
そもそも、プロサッカー選手になれる確率なんて、東大合格どころの話ではない。ほとんどの人には無理なのだという道理を知ることも大切だ。
ただ、どうしても情熱の炎が消えないなら、他人が「お前には才能がない」と言っても耳を貸す必要はない。
ただし、その情熱が本物か、それとも、単にちやほやされたいだけなのかは自分で見極めなければならないのだ。

野性動物は、食べ物を得るために必要なことは何でも自発的に行う態度が最初からあり、実に不思議ななりゆきで食べ物を見つけてしまう。
ただ、野生動物の場合、食べ物が見つからなくて死ぬことになっても本望なのだ。
だが、人間はそうではない。
本当の望みであれば、必ず叶うような仕組みが組み込まれている。
だから、それをちゃんと使わなくてはならないのである。









↓応援していただける方はいずれか(できれば両方)クリックで投票をお願い致します。
人気blogランキングへ にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人生・成功哲学へ
↓Social Network Service
このエントリーをはてなブックマークに追加