お釈迦様は『涅槃経』で、伝統を重んじることの重要性を説き、伝統を大切にする国は決して滅びないと言ったようだ。
だが、私は、ある良いことを覚えていた。
『魔法騎士レイアース』というアニメの番外編である、OAVアニメ『レイアース』で、地球を守護する3つの聖獣を纏(まと)った3人の少女の心が1つになった時、遂に、レイアースという最強の存在が現れる。
レイアース・・・ray(光線)+earth(大地・地球)・・・「輝く大地」何とも良い言葉だ。
そして、その時、少女の1人が呟く。
「伝説の力」

お釈迦様の言う通り、伝統には力がある。
ただし、それが伝説と言えるほど古い場合だけだ。
たかが数十年や、せいぜい3百年程度の、「我が社の伝統」「我が校の伝統」なんてものに何の力もないなかりか、害悪がある場合も多い。
ただ、その「我が校の伝統」が、何か別の、数千年の伝統に根ざしている場合は別だが、校長や社長が口を酸っぱくして唱える伝統なんて、大抵馬鹿げたものだ。
力ある伝統は、少なくとも、2千年の歴史がなくてはならない。

では、紀元前13世紀から存在すると言われる、インドのカースト制度はどうなのかというと、今知られているカースト制度は、政治的に利用されたもので、本来のカースト制度とは違う。
『バガヴァッド・ギーター』でも、神クリシュナはカーストを認めているが、人間には、確かに生まれによる差異はある。
だが、生き方によって、次の生でのカーストは異なってくる。
もしかしたら、よほどの場合には、生きているうちにカーストの変更もあるのかもしれないが、少なくとも、人間というのは、根本的な違いがあることは否定できない。

私は、子供の時から、優れた人間と、そうでない人間との違いを強く意識していた。
それは、努力でどうなるというものではない。
とにかく、根本的に違うのだ。
私は、優れた人間を羨む者で、優れた人間のことを「優良星人」、自分のことを「不良星人」と呼んでいたが、正直言うと、私より劣る種も存在することは分かっていた。
だが、本来は、優良なグループの方が責任が重く、優良であることを、自分のためだけに使えば、次の生に行くまでもなく、その生で酷い惨めな状態になる。だが、それは罰というよりは、気付きを与えるための宇宙の愛のようなものである。
よく、成功法則の指導者が、自分の高い実績を示し、「私ができるのだから、君たちにもできる」などと言う者がいるが、それは優良星人のたわごとだ。
できない者には、逆立ちしたってできないのだ。
しかし、できることはできるのだし、自分にできることをすれば、幸せになれる。
『ウルトラマンティガ』でダイゴが、『美少女戦士セーラームーン』で地場衛が言ったように、「僕は人間だから、自分にできることをする」「俺たちはできることをしよう」というのが正しい態度である。できることをしない者に待っているのは地獄である。

だが、口で呼吸する優良星人を、鼻で呼吸する不良星人が超えてしまう。
呼吸がより微かな不良星人は優良星人に優る。
なぜなら、鼻で微かな呼吸をすれば、魂は心も身体も脱ぎ捨てる。
優良星人、不良星人といえども、魂に違いはないのである。

心ごと体ごと 全部脱ぎ捨てたこの魂
無くしてた熱情が 指先から流れ出した
~『FREELY TOMORROW』(作詞:Mitchie M・ЯIRE、作曲・編曲:Mitchie M、歌唱:初音ミク)より~









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