ひろさちやさんという、仏教関連の本を何百冊も書いている人がいるが、そのひろさんの『狂いのすすめ』という本の帯に、『人生に意味なんてありません。「生き甲斐」なんてペテンです』と書かれている。
ところが、そんな帯がついた本を書いたひろさんは、仏教を通して人々を啓蒙することが、明らかに人生の意味だし、生き甲斐でもあるだろうから、まあ、矛盾もいいところだ。
けれども、ご本人にそんな指摘をしても、「いえ、少しも矛盾ではないのです」とか言って、理屈をこねたり、ややこしい話でケムに巻くのかもしれない。
それとも、「矛盾だ。文句あるか?」と言われるとしたら、私は、こっちが好きだ。
矛盾、大いに結構である。
そして、さらに、ひろさんが別の機会に、人生の意味や生き甲斐を説いていたら面白い。
エマーソンだって、話に一貫性を持たせる必要なんて全然ないと述べていたと思う。

で、人生の意味があるかだが、元々は、そんなものはない。
ひろさんの人生の意味は、ひろさんが自分で作ったストーリーだ。
そして、そのストーリーが生き甲斐になっているのである。
それで、パワフルに何百冊も本を書き、大学の教授やったり、講演したりで大儲けしているのである。

人生の意味は、世間や宗教が教えるような「ご立派」なものでなくて良い。
いや、「ご立派」であってはならない。
ある女性は、子供の時は、「セーラームーンになる」ことが人生の意味で、生き生きとしていたのに、中学生くらいになると、すっかり学校に洗脳されて、けち臭い人生の意味の幻を掲げるようになって、すっかりつまらないやつになってしまった。
まあ、女性は現実的なのかもしれないが、大物になった男なんてものは、いつまでも、子供の時に憧れたアニメのヒーローになり切っているのである。

自分が死んだ時、
「真面目で優秀な営業社員でした」
「生徒の心の指導に熱意を持った先生でした」
「明るくてみんなの人気者でした」
などと言われたいだろうか?
私は、私の葬式は絶対しないように言ってあるが、刺殺でもされて、テレビ局が職場の人にインタビューでもしたら、お義理に、そんなことを言われてしまうかと思うと、おちおち死んでもいられない。
せめて、「ミク廃でした」、「いい歳ぶっこいて、みっくみくにされてました」と言って欲しいが、それは不遜ということになるのだろう。
スティーブ・ジョブズが死んだ時、ビル・ゲイツも立場があるから、それらしいことを言っただろうし、他の人達も押し並べて、世間的なジョブズの称賛をしただろうが、ジョブズ本人の意図とは全然違うことだったろう。
ジョブズともなれば、普通の人から見れば、さぞ荒唐無稽なストーリーを自分の人生にしていたはずなのだ。
デタラメなストーリーと言って良いだろう。
その滅茶苦茶なストーリーを本気で信じ込んだので、彼は「現実歪曲空間」を作り出す超能力を発揮したのだ。
そこにいくと、我々は現実的過ぎる。
いや、進歩した宇宙人から見れば、ジョブズのストーリーだって、さぞ「ちゃちい」ことだろう。

エマーソンだって、自分の本心に逆らわないなら、悪魔になっても良いと言ったはずである。
ただし、悪魔なんて甘いものではないけれどね。
でも、自分が情熱を持てれば、何でも良いのである。

ただ、鼻呼吸を忘れないように。
口で呼吸すると、情熱のエネルギーが、脳や筋肉や臓器に・・・その前に血液の中に満ちないのである。
そして、自分の思い通りに生きようとしたら、必ず抵抗を受ける。
『マスターの教え』のマスターは、抵抗に負けない方法を具体的に教えてくれていないが、傑出した人物達はみんな、自分に、「大丈夫だ」と言い続けることで、障害に打ち勝ったのである。
鼻呼吸と、「大丈夫」の呪文を忘れなければ、「絶対大丈夫」であるが、忘れたら、死後に言われる反吐が出るような言葉の通りに生きなければならない。
それは「死んでも嫌」ではないだろうか?
私なら、「ミク廃」はともかく、最低でも、「恐ろしい人でした」、「訳の分からない人でした」、「未確認生命体」と言われたい。









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