トロッコをご存知だろうか?
乗ったことはないと思うが(私もない)。
トロッコとは、普通、鉄道用の線路の上を走る手押し車のことを指すと思う。トラックがなまってトロッコになったという話がある。
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の、トロッコの走行シーンが有名らしいし、『天空の城ラピュタ』では、トロッコに乗り移ったパズーとシータがかなり無茶をしていたと思う。

で、「トロッコ問題」という、有名なもの(思考実験とか言うらしい)がある。
フィリッパ・フット(1920-2010)という哲学者が提起したと言われる。
簡単に言うと、こんなものだ。
暴走したトロッコが向かう先の線路上に5人がいて、5人に逃げ場はなく、そのままでは5人はトロッコに激突して死ぬ(とする)。
トロッコが走る線路を切り替える分岐器を動かし、トロッコの方向を変えれば、5人は助かるが、新たな走行先にいる1人が死ぬ。
分岐器を動かすべきかどうか?

答は出ていないが、多くの人々の意見は、5人を救うために、1人を犠牲にするのはやむをえないというものだ。
これまでは、「私はこう思う」という無責任な主張が花を咲かせたが、AIによる自動車の自動運転が現実になってくると、そうはいかない。
たとえば、子供達の中にAIが運転する自動車が突っ込もうとしている時、AIは車の向きを変えて崖から転落すれば、運転者は死ぬが子供達は助かる。
運転者が1人の場合、あるいは、子供達より数が少ない場合には、それが妥当な判断と思えるかもしれない。
しかし、そんな車、誰が買うかい!(笑)

トロッコ問題の答を言おう。
断っておくが、これは、どこかの偉い先生が言って、学会が承認したようなものでも何でもない。
だが、正しいのだ。
答は、分岐器は使わない。つまり、線路を切り替えず、5人を見捨てるのが正しい。
なぜかと言うと、特に、人の命が関わるようなことで、自然の流れに手を出してはならないからだ。
このトロッコ問題のような1つの出来事だけなら、確かに、1人が死んで5人が助かることの方が正しいように思えるかもしれない。
しかし、いつもそんな、自然に逆らう、作為的なことをしていれば、必ず世界のバランスが崩れ、悲惨な状況になる。
まして、今後のAIが管理する社会で、AIが完璧にそんなことを続ければ、人類は滅亡する。

ただし、例えば、こんな場合は話が違う。
原爆を積んだ飛行機が飛行中、搭載した原爆が誤作動してスイッチが入ってしまったとする。
そのままでは、原爆はある都市の上で核爆発を起こすが、パイロットはそのことに気付いておらず、無線も壊れている。
しかし、原爆を遠隔監視している者には、原爆のスイッチが入ったことが分かる。
原爆を爆撃した場合、核爆発は起こらないとする。
この場合は、原爆を積んだ飛行機を爆撃するのが正しい。
なぜなら、原爆を積んだ飛行機が都市の上を飛んだりすること、さらには、原爆自体が、少しも自然なものではないからだ。

自然であること・・・これが大切だ。
蜘蛛の巣に綺麗な蝶がかかったら、蝶を助けたくなるかもしれないが、それは自然に反する。
小鹿がハンターの罠にかかっていたら、やっぱり助けたくなるが、ハンターが生活のためにやっていることなら、当然、そんなことをしてはならない。
ただし、密猟者の罠にかかった動物、あるいは、間違って、罠に人間がかかってしまった場合は、助けるのが自然で正しい。

オルフェウスが、死んだ妻を黄泉の国から連れ戻そうとしたが、失敗したのは、それが不自然なことなので、神の摂理が働いたのだと考えると良いだろう。
同じく、死んだイザナミを連れ戻そうとして、イザナギが散々な目に遭ったのも、イザナギが不自然なことを考え、実行したからである。









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