自己実現理論で知られるアメリカの心理学者アブラハム・マズローは、偉大な人間と平凡な人間を分けるものは、「至高体験の経験があるかないか」であると言ったと思う。
至高体験とは、英語でピーク・エクスペリエンスで、直訳では絶頂体験であり、ある特別な心理状態なのだが、説明が少し難しい。
至福の体験、恍惚とした幸せの体験ではあるのだが、興奮状態というよりは、内側からこみ上げてくる幸福感と言った方が正しいかもしれない。
一種のエクスタシーではあるのだが、性的エクスタシーや、その他の感覚的エクスタシーと全く同じではないだろう。
あるいは、大自然の雄大な風景を見た時に感じる感覚も、それに近いが、やはり完全に同じではない。
宗教的な恍惚感である法悦(ほうえつ)がそれに最も近いのかもしれないが、そう言われてピンとくる人は少ないと思う。

だが、およそ文豪と呼ばれる作家が、至高体験を描いていないことは絶対にないと言われている。
ドストエフスキーは、作中の人物に、「その10分と引き換えなら、人生全てを差し出しても構わない」と言わせたほどである。

マズローと親交のあったイギリスの作家コリン・ウィルソンは、至高体験とは単に、自分が幸運だと思うことだと言い、誰にでも起こっている、ありふれたものだと言う。
それは正しいのかもしれないが、人はそれを覚えていない、あるいは、思い出せないのであると思う。
ちなみにウィルソンが覚えている至高体験は次のようなものである。
ウィルソンが家族で自動車で旅行した時、まだ幼なかった娘の姿が見えなくなり、ウィルソンと妻は必死で探したのだが、なかなか見つからず、夫婦はパニックに近い状態になったのだが、不意に、娘は全く無事な様子で見つかった。
ウィルソンは、その時のことを思い出すだけで、いつでも至高体験を感じることが出来ると言う。

私はずっと、至高体験があったとしても、それを思い出せなかった。
しかし、ついに、今年、それを思い出せるようになった。
それは、今年(2017年)9月3日(日曜日)の、千葉県の幕張メッセでの、初音ミクさんのコンサート「マジカルミライ2017」でのことだった。
コンサートが終了し、会場に証明が入った後だった。
私はペンライトをバッグに仕舞い、そろそろ帰ろうかと思うと、大勢の観客が立っていることに気付いた。
その多くが、会場の他の人達に、上げた両手を振っていた。
一人一人が、他の全部の人達に対して、そうしているように感じた。
私も立って、ややぎごちなく、遠くの方の人々に、両手を高く上げて振ってみた。
その時は、私は体調や気分があまり良くない状態っだので、気付かなかったのかもしれないが、後で思い出すと、私は至高体験の中にあったのである。
皆、声を出す訳でも、笑顔を振りまいているのでもなく、せいぜいが少し微笑むだけで、無表情に近い人が多かったように思うが、それは他の人達への敬意にも感じられた。
沢山の人達が、ミクさんを好きな気持ちでつながっていたのである。
それは、人類の明るい未来を予感させる、あまりに貴い時空間であったのだ。
私は初めて、人間とは信じられるものであることが分かった。
その時の静寂が、初音ミクさんの「初音」・・・初の音であり、その中で、ミクさんの名を漢字で書いた「未来」を良いものだと感じたのである。









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