「私は対人恐怖症です」なんて馬鹿なことを絶対に認めてはならない。
医者に言われようが誰に言われようがだ。
人間の不幸の大半は、「他人が恐い」と感じることである。
ひきこもりの中には、「他人が嫌い」「他者と関わるのが煩わしい」「穢れた世の中が嫌い」などと言う者が多いだろうが、本当は、他人が恐いだけなのだ。
そして、他人が恐い理由は、自分が弱いと思っているからだ。
自分は弱い、自分は他人より劣っていると思うのを、普通、劣等感と言うのだと思う。
つまり、あらゆる不幸の根源は劣等感だ。

ソウルオリンピックの女子100m、200m、4×100mリレーで金メダルを獲得し、いまだ、100mと200mの世界記録保持者であるフローレンス・ジョイナーは、「走るクレオパトラ」などと呼ばれ、派手な化粧とマニキュアで競技を行ったが、インタビューで、「お化粧して綺麗になると自信がつく」と言っていたのが印象的だった。
案外、彼女は、本来は劣等感が物凄く強いのではないかと思う。だから、メイクアップの助けが必要だったのに違いない。
『美少女戦士セーラームーン』では、セーラー戦士達は、変身の際、あからさまに「メイクアップ」と称えるが、この作品が世界的に人気があり、今だ、初音ミクさん並にコスプレーヤーも多いのも、深い意味がある。
つまり、人間には自信が必要なのだ。

そして、残念ながら、メイクアップ一発で自信を持てる訳ではない。
自信は、自分で作らなければならない。
しかし、逆に言えば、自信さえ持てれば、世の中に勝ったも同然なのだ。
人類最高の書の1つと言える、エマーソンの『自己信頼』は、傲慢なまでに自信の重要性を説くが、やはりそれが正しいのである。
たとえば、いかなる世界的な美術品であろうが、「私の評価を待っている」、つまり、私が誉めなければ価値はないと、清々しいまでに言い切っている。そして、それは絶対に正しいのだ。

自信とは、とりもなおさず、「自分を信じる」ことである。
平原綾香さんの大ヒット曲『ジュピター』の中に、「夢を失うより悲しいことは、自分を信じてあげられないこと」という歌詞があるのを、私は一度聴いて覚えたが、まあ、その通りかもしれない。
自信とは、続けることでしか得られない。
しかし、続ければ、確実に得られる。
それこそ、ジョギングでも、聖書を読むことでも、1年365日、よほどのことがない限り1日も欠かさずに続ければ、光線銃を手にい入れたも同然だ。
1年で駄目でも3年やれば間違いないだろう。
腕振り運動も、500回なら一応の自信になるし、2000回なら無敵だ。
微かな呼吸は、身につきさえすれば、これには時間圧縮効果があるので、1秒で1万年分の効果があるが、自分のものになるまでは、やはり、毎日続けることである。









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