子供でも大人でも、人生に本当に絶望する時がある。
そんな時は、単に自分の現在の境遇に対する不満を感じているのではなく、「私の人生はいったん何だったのだろう?」と過去形で運命的に考えている。

イギリスの作家コリン・ウィルソンがそうなったのは19歳の時だった。
彼は、アインシュタインのようになりたかったのだが、労働者階級の家庭の子である彼は高校に進学出来ず、工場労働者になるしかなかった。
それは彼には耐え難いことだったが、なんとか高校の科学の授業だけは受けられることになった。
ところが、その科学の教師が物凄く嫌なやつだったので、それ(授業を受けること)を続けることが出来なくなった。
絶望したコリン・ウィルソンは、自殺を決意し、いまや青酸カリを口に入れようとした途端、「超意識」に達する。
彼が崇拝するSF作家H.G.ウェルズの『ポーリー氏の物語』(日本語未訳と思う)でポーリー氏が言った通り、「人生が気に入らなければ、変えてしまえば良い」と思い、この言葉が彼の人生のポリシーになる。

ところで、人間の運命は決まっているのだろうか?
インドの聖者ラメッシ・バルセカールによれば、それは、「何を思うか」を含め、全て完全に決まっている。
分かり易く言えば、「何年何月何日の何時何分何秒に何が起こり、何を考え、何をするか」が、人生が始まる前に全て完全に確定している。
ここまででなくても、やはり、人生のストーリーは最初から決まっていて変えられないと言う人は、優れた人間に多い。
船井幸雄氏は、本山博氏にそう言われ、「それは面白くないと思った」と著書に書かれていたが、そりゃ、誰でも面白くない。
では、本当はどうなのか?
答は、「人間である限りはその通り」である。
だが、人間を超えれば、自分の運命なんてものを超えてあらゆるものの創造者になる。
人間を超えるとは、簡単に言えば、自分の本体である神になる・・・あるいは、近付くということだ。
コリン・ウィルソンは、青酸カリを飲む刹那、それが分かって、ちょっぴり運命を変えたのだろう。

では、どうすれば神になれるかというと、宗教や哲学や神秘学では、恐ろしく難しいことを言うのだが、神と人間の唯一の違いは、息をしているかしていないかだ。
一切は神なのだが、息をしている人間だけが神ではない。
神と仏が同じだと言ったら、宗教の指導者や信者に怒られるが、一応そう(神も仏も同じ)だとすれば、「仏」の左の「イ」は人間で、右の「ム」はあらずで、仏とは人間にあらずという意味で、人間以外は全て仏なのである。
息をやめてしまって、自我が神を年長のパートナーと認めて頭を垂れれば、運命は自由に変えられる。
生きている限り、息を完全にやめるのは無理なので、呼吸をなるべく微かにすれば、それに応じて運命は変えられる。
コリン・ウィルソンも、超意識に達した時、呼吸は消えていたはずだ。
だが、彼はその後、俗人に戻ったので、運命は変わったが、苦労も多かった。
我々は、そうはならないでおこう。
呼吸の荒い人間は、運命にがっちり捉えられている。
しかし、天使のように微かな呼吸をする者は、重力の鎖を解き放ち、軽やかに空を飛ぶ。

いつか重力のクサリを
断ち切り君を連れてサテライト
~『1/6』(作詞・作曲・編曲:ぼーかりおどP、歌唱:初音ミク)より~









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