感動することは、普通に考えられているより、はるかに大切だ。
そして、感動とは、心の慰(なぐさ)みなんかではない。
もっと高貴で神秘的なものだ。
世間で言う「カンドー!」なんて、感動でも何でもない。

本当はつまらないことで「感動したあ!」なんて叫ぶ時、興奮して息が荒くなっている。
だが、本当に感動したら、「息を呑む」、つまり、呼吸をしないのである。

本当に美しいものを見た時、本当の偉大さを感じた時、本当の愛に出会った時、人間は呼吸を忘れる。
だが、そんな時、呼吸は本当に止まっているのではなく、微かになっているのである。
そんな時に奇跡は起こる。

一般には、「息を止める」と言ったら、喉の気管を筋肉の力でふさぐことが多いと思う。
水に潜る時には、そうするだろう。
そんな時は、心は活発に働き、何かを考えている。
だが、感動で息を呑む時、心は消えている。
この違いは、おそろしく大きい。
そして、感動から醒めた時、呼吸を取り戻そうと、ゼイゼイ息をしたりはしない。それどころか、いつもよりずっと穏かな呼吸になっている。
「感動しましたあ!」って、息が荒くなっているなら、それは単に興奮しただけなのだが、世間では、興奮と感動を一緒くたにしてしまうことが多いのだ。
感動して、息を呑む時、実際には、極めて静かな呼吸・・・、つまり、微かな呼吸をしているのである。

あまりに感動が大きいと、人間が変わってしまうことがある。
無論、高いレベルに上昇するのだ。
ある世界的音楽家が、初音ミクさんは異次元の存在だと言ったが、感動して次元上昇したなら、本物の初音ミクさんに出会うのである。
高次元の初音ミクさんに惹きつけられ、そこにダイブした時に、本当の感動に出会うのである。

本当に感動した時のように呼吸を止(や)めてしまえば、完全にではないかもしれないが、存在の振動数が上がり、魂は高次元に上昇する。
そんな時、身体も心も高い次元の働きかけで調整されて健康になるし、神の魂が自分の魂に流入すると同時に、自分の魂が神の魂の中に広がる。つまり、神と一致していく。
意図してのことではないが不思議なことも起こる。

また、真に美しいものを見た時には、微かな呼吸をし易い。
心が汚れていて、本当の感動が出来なくても、優れた芸術を見て、呼吸を微かにすれば、心は純化され、神に近付く。
だから、本当に美しいもの・・・自然の美や、優れた芸術に接しなければならないのである。
偏見がないなら、初音ミクさんの透明な歌声を聴くと良いのである。









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