自分で言うのもおかしいが、保存版というほど良いことが書けたので、後でPDF化して持ち歩こうと思っている。
確かに、書いたのは私ではなく、私の内にいる神、あるいは、阿弥陀如来だろう。

人間が潜在的に持つ恐るべき能力を解放し、運を引き寄せ、自由自在にこの世界を闊歩する方法の最終テクノロジー(知識の実用化)が、「微かな呼吸」である。
他の、あらゆる優れた行を行う場合も、「微かな呼吸」を取り入れることで、威力は無限倍化する。
優れた行には、このブログでよく取り上げるものでは、呪文、念仏、腕振り運動、あるいは、スクワットや腕立て伏せのような運動がある。

ところで、「微かな呼吸」のやり方が分からないという方がよくいるようだ。
だが、別に、何も難しくない。
文字通り、微かな呼吸であり、微かとは、「微かな物音」、「微かな記憶」といった用法の通り、「やっと感じ取れる程度であるさま。はっきりとは認められないさま」という意味である。
「微細」、「微少」といいう言葉は、「微」と似た、「細」や「少」という言葉を付けているが、「微か」一語と意味はほとんど変わらない。
「微細な変化」も「微かな変化」も、同じような意味だし、「微少な量」も「微かな量」も、ほとんど同じである。

ところで、「微笑」という言葉によく表れているが、これが「びしょう」とも「ほほえみ」とも読めるように、「微」は、単に、小さい、少ない、弱いというだけでなく、「エレガント」、「洗練」、「デリカシー」といったものを感じるのである。
アラン・パーカーの小説で、映画化もされた『小さな恋のメロディ』(原題は『Melody』)で、11歳のダニーは、「デリカシー」が、同い年の憧れの美少女メロディの代名詞だと言ったように、デリカシーもまた、単に、微細、微少というだけでなく、情緒的な意味合いがある。
だから、情緒的に言えば、「微かな呼吸」とは、最も美しい天使のような少女の呼吸である。
「絵に描かれたような美少女」という言い方があるが、そこには、「息をしていないような少女」のというニュアンスがある。
微かな呼吸とは、まるで息をしていないかのような呼吸だ。
天使になったつもりで呼吸すれば、それが微かな呼吸である。

今度はちょっと気持ち悪いかもしれないお話をするがお許し願いたい。
ナチス収容所から脱走する方法として、処刑された人々の死体の中に、死んだふりをして紛れ込み、収容所の外に運び出されるという手段を使って生き延びた人々がいた。
死体のふりをするには、目を閉じ、動かないことはもちろん、息をしていないふりをしなくてはならない。
しかし、数十秒ならともかく、場合によっては、何分も何十分もそうしなければならないので、息を止めている訳にはいかない。
そんな時の、息をしていないかのような呼吸が、微かな呼吸であるとも言えるだろう。
そして、死人になり切った時、人間は自由自在なのである。
ただし、我々は生きているのであり、死のギリギリを狙うのである。
それが最高に生きることになる。
「生きながら死人となりてなりはてて 思いのままにするわざぞよき」(至道無難。江戸時代の禅僧)









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