自分は何者かと言う場合、何かの修行者だと言うのが良い。
楽器演奏、絵画、武術、プログラミング、仏道・・・、あるいは、誰も知らない、普通の人は想像も出来ないようなことの修行者である。
何の修行者か、コロコロ変わっている間は強くない。
もちろん、例えば、空手をやっているが、参考のために柔道をやるように、いくつかのことをやるのは良いことだが、本質では、1つのことの修行者であるべきである。

昨日も取り上げた、イタリア映画『怒りの荒野』では、私生児で掃除が仕事の貧しくて惨めな境遇のスコットが、毎日壊れた銃で射撃の練習をしていたように。
壊れた銃だから、当然、本当の射撃は出来ないが、毎日、銃を丁寧に扱って慣れていると、何かは身につく。
イタリアやブラジルなど、サッカーが盛んな国では、サッカーに強くなりたい子は、出来るだけ長い時間、サッカーボールに触れるようにである。

物凄く高尚だったり、誰が見ても立派なことでの修行が出来る者もいる。
例えば、ピアノ演奏とか科学とかいったものだ。
だが、あるヤクザは、喧嘩が強くないといけないが、武術を習得する金も時間も根性もなかったので、自分で工夫した、脚折りキックだけを徹底して磨き上げたが、それで恐れられるようになった。
私は、どっちかというと、そういうのが好きだ。下々の者だからね。
昔の有名な漫画『愛と誠』で、特に印象的に覚えているのが、私生児の高原由紀は、幼い時からずっと悲惨な境遇で育ち、女子少年院でもいじめられていたが、ナイフ投げの修行に打ち込み、それが百発百中になった時、誰からも恐れられるボスになった。主人公の1人で、由紀とは敵の関係だった「孤高のワル」太賀誠も、由紀の、そのことだけは誉めていいた。
私も、そういったものが一番好きなのだ。外れた下々の者だからね。
一流の映画だったと思うが、スリを志す青年が、スリの名人に教わったスリの修行を毎日熱心に行う場面があった。
私は、こういうのが大好きだ。不吉で世の中に見捨てられたような者だからね。

大山倍達は立派な空手家だと私は確信するが、彼のようにはなれなくても、彼が、「空手は目潰しと金的攻撃があるから地上最強なのである」と正直、あるいは、誠実に言い、アメリカでプロレスラーと戦うために、毎日、懸命に目潰しと金蹴りの練習をした部分だけ切り取って修行することなら誰でも出来る。
全く人に言えない外道な修行かもしれないが、やっぱり私はそういうのが好きなのである。全く私も外道(邪道。邪悪な者の意)だからだ。

身の程を知れ。そして、生きるために、そんな自分にあった修行をすることだ。
私はプログラミングの修行もしたが、あまりに外道なもので、ついでの修行になってしまい、大したことのないプログラマーになってしまったが、これからの人は、もっと熱心にやってもらえば良い。
プログラマーは決して高尚な仕事ではなく、ブルーカラーの1つだと思っているが、これが出来れば、一生食べていける。
超能力の修行だって、毎日黙々とやれば、ちゃんと成果が出る。
高尚に属する人は・・・まあ、がんばってくれたまえ(笑)。
『サウンド・オブ・ミュージック』のモデルになったトラップ家の娘の1人は、指揮者のカラヤンと学校で同級生だったらしいが、カラヤンはやっぱり、練習の虫だったそうだ。
あんな偉大な人でも、虫の時代があったのだ。









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