よく、「あなたは1人じゃない」、「私たちは1人じゃない」というのを、見たり聞いたりしたことがあると思う。
もしそうなら、「私」の本当の味方が誰かいなければならないが、それは誰だろう?
そんな者、いやしないと思う人も多いかもしれない。
だから、「いい加減なことを言うな、馬鹿野郎」と言いたい人もいることだろう。

だが、それが誰かというなら、それは心臓だ。
だって、考えてみると良い。
自分の意志や思考と関係なく、勝手にドキドキし、胸騒ぎがし、痛くなる。
そして、ドキドキするなら、ドキドキする正当な理由が必ずあり、頭では胸騒ぎの理由が解らなくても、その理由は立派にあり、しかも、いつでも、その胸騒ぎは正しいのである。
そして、心臓は、脳からほとんど独立して動いている。
右脳が何かを感じて心臓に感覚を与えるのではなく、心臓が独自に得た感覚が右脳に伝わってイメージを起こさせるのである。

「自分」というもの、つまり、自我意識や「私」という感覚は脳が作っていることは間違いない。
そして、「もう1人の私」である、内なる賢者は心臓である。
『バガヴァッド・ギーター』で、「私(神。クリシュナ)は心臓に住む」とある通りである。

もっと心臓を信頼すると良い。
そして、心臓は、奇跡を起こす神秘の力を持つ。
天才漫画家、山岸凉子さんの『日出処の天子』で、聖徳太子こと厩戸皇子(うまやどのおうじ)が、神秘力(超能力)を使って活動している時、
「やり過ぎると、私の心の臓が持たない」
と思う場面があるが、これが心臓の力をうまく言い表している。
そして、ラポール(心の絆)で結ばれた者同士の心臓は一つになり、より大きな力を発揮する。

其(そ)して恥を知り 惨めになれば
全てが 廻りだして
心臓は一つになる
~『心臓デモクラシー』(作詞・作曲・編曲:みきとP、歌唱:初音ミク)より~

『日出処の天子』では、厩戸皇子が蘇我蝦夷(そがのえみし)と協力して、干ばつに陥った都に雨を降らせたようにである。
邪まなことでなければ、心臓に頼み、心臓に従えば、願い事は叶う。
心臓に神が住むからである。
腹(あるいは丹田)や仙骨は、エネルギー発生源やバランサーとして重要ではあるが、神はやはり心臓に住むのである。








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